《MUMEI》 . 「あなた、お帰りなさいませ。」 菜江は、私に微笑んだ。 「ああ…」 ぶっきらぼうに、応え宇佐美へと顔を向ける。 目の端に、しゅんとする菜江が 映った。 …しまった、また私は菜江を傷付けてしまったのか…いつもこうだな、私は…。 「どうしました?坂崎先生。」 宇佐美が、心配そうに聞いてくる。 「いや、なんでもない。待たせたね、打ち合わせをしよう、書斎に来てくれたまえ。」 …私では、宇佐美のように、菜江を笑わせる事が出来ないんだろうな…私は、目の前の好青年が、羨ましかった… それに、私は…。 「八重さん、八重さん。」 菜江は、家政婦を呼ぶ。このところ、毎日だ。 「はい、奥様。」 「あの人は、今日も居ないの?」 「はい、作家仲間の橋元様のお宅に、行かれました。」 「そう…、最近、よくお出掛けになるのね。」 坂崎は、あまり外出する人では、なかったのに…、ここ毎日、出掛けている。 菜江は、ふぅ…と詰まらなそうに、溜め息をついた。 自宅に居ても、書斎にこもってばかりなのだが…。 「あの、奥様〜最近、旦那様は、お痩せになりましたね。食も細くなりましたし…。以前から、お食べになられませんでしたが…。」 …そう言えば、そうね。あの人は、煎茶や珈琲〜そして、煙草で出来てるような人だもの…そう思いながら、笑ってしまった菜江であった。 「でも、どこか具合でも、悪いのかしら?」 八重も、心配顔で頷いた。 それに、最近、頻繁の外出…。 おかしいと言えば、最近、書斎に鍵を掛ける事、少し前までは掛けなかったのに…。 菜江には、坂崎の事が全く分からないのだった。 ある夜、坂崎が帰って来なくて、待ちわびた菜江は、テーブルで寝入ってしまった。 坂崎は、テーブルにうつ伏せて、寝入る菜江に〜自分の羽織っていたジャケットを掛けようとして…手を止めた。 苦悩の表情をした。と、その後〜書斎へと走り去った。 坂崎が、走り去った後〜菜江は、静かに顔を上げた。 菜江は、起きていた…坂崎が、ジャケットを掛けるのを、待っていた、だけど…やはりあの人は、私の事なんて… 寂しそうに笑う菜江。 前へ |次へ |
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