《MUMEI》

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「菜江…」


「はい?」


坂崎は、菜江に背を向けたまま、静かに話かけた。


「明日、大都出版の出版記念パーティーがある。夫婦で是非にと、頼まれてな、橋元や恩のある先輩作家が来るらしく、断れなかったのだ。」


「そうなのですね、大都出版と言えば…宇佐美様の?」


坂崎は、フッと笑って「そうだよ。」と告げた。


「それで、どうかね?君さえ良ければ、出て貰えないだろうか?」


菜江は、人前に出るのはあまり好きではなかった。幼い頃から、病弱であったからでもある。


暫く考えた後、坂崎に「はい、同席します。」と伝えた。


「そうか、すまないな。ありがとう菜江。」坂崎は、菜江の方へ向き、頭を下げた。


菜江は突然、クスクス…と笑い出した。


「??」
坂崎は、何がそんなに可笑しいのだろう?と不思議そうな顔で、菜江を見つめた。


すると、菜江の白く細い手が、坂崎の頬に触れた。


「……!?な、なんだ?」


菜江は、指先の桜の花弁を、坂崎の目の前に差し出した。


「ほらっ、これが…、あなたの頬に張り付いて…お似合いでしたよ、フフッ…」


さも可笑しいのだろう、よく笑う。


「あ、ああ…ありがとう。」


…なんだ、こんな些細な事で、笑うんだな…坂崎は、そう思った。


「旦那様〜宇佐美様が、お見えになりました。」

屋敷から、八重が 伝えに来た。


「ああ、わかった。」


屋敷に戻る坂崎の、後ろ姿を見送る菜江に、坂崎が、振り向き声をかけた。


「菜江、お前も来なさい。」


「え…?私も…」


驚く菜江に、坂崎は、無言で頷いた。


…お仕事の話なら、私はお邪魔じゃないのかしら?…


そう思いながら、坂崎の物言わぬ背中に、着いていく 菜江であった。

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