《MUMEI》
其の壱
 「……この桜、今年も咲かないのかな?」
その桜木が花を付けないのは毎年の事だった
季節は花盛る春、四月
高校からの帰宅途中だった豊原 加奈はその前へとぼんやりと立ち尽くしていた
日一日と変わっていく日々の中
この桜だけが時の流れから忘れ去られている様に感じ
不意に、寂しさを覚えてしまう
どれ位の間其処にいたのか
何故か豊原は自身の頬に水滴を感じた
「な、なんで、私、泣いて、るの……?」
意識せず、次から次へと流れ落ちて行く涙
何故泣いているのか、何が悲しいのか
胸の内にそんな解らない様な複雑な何かが現れ
手の甲で何度となく涙を拭った
『……待っていた。華巫女』
その直後に何処からか聞こえてきた声
辺りを見回してみても誰の姿もなく
空耳かと首をかしげた直後の事だった
華など咲かせる筈のないソレに満開の花弁が現れたのは
「な、何!?」
花弁に覆われた視界
その奥に、豊原はヒトの影の様なものを見た気がした
『……華巫女、お願い。この世界を、助けて――』
「え?」
頭の中へと直接響く様な声
目の前の人影からソレは聞こえて来た様な気がして
脚が無意識にそちらへと向かってしまう
「……ね、あなた一体……」
問うてみるがやはり返答はなく
唯細い笑みだけが返され、すぐ後には辺り一面が白光に覆われた
一寸の白濁の後
漸くお朝舞ったソレにゆっくりと眼を開けてみれば
「……何?ここ」
見覚えのない景色が一面に広がっていた
自身がつい先程までいた場所とはあきらかに違う其処に立ちつくしてしまう
「……危ない!」
「え?」
怒鳴る声と馬の鳴き声が聞こえてきたのがその直後
振り返ってみれば、目の前から馬が走ってくるのが見えた
あわや踏まれる、とおもわず眼を閉じた、次の瞬間
目の前に人影が現れる
軽い身のこなしで走る馬の上へと乗り上げると、そのまま手綱を引いて
ソコで漸く馬が止まった
「……助、かった」
寸前のところで事なきを得、豊原が腰を抜かし座り込む
そうやって安堵したのも束の間
馬から降りてきた人物は豊原の前へと膝を屈め
顔をまじまじ覗きこんできた
「……女?」
怪訝な表情をして向けられ
咄嗟に答えて返す事が出来ずにいると
喉元に、ひやりとしな何かが触れてきた
ソレが刃物だと理解したのはすぐの事で
豊原の顔から一気に血の気が引いて行く
「……あ、の私……」
「そう凄むな。刀弥」
豊原の怯えが伝わったのか
凄んでくる男の背後からとがめる様な声が鳴る
「……御上」
現れたその姿に男は慌てて片膝をつき
だがそれをやんわりの制すと、豊原へと向いて直った
「娘。我が手の者が無礼を働いた。すまない」
「え……?」
「まぁ、これも悪気あっての事じゃない。許してやって欲しい」
態々頭を下げられてしまえば、ソレに否を唱える事など出来る筈もなく
その変わりに、と豊原は今自分が置かれている現状を取り敢えず聞いてもらう事に
「……成程。つまりはお前が(華巫女)ということか」
「え?」
一人勝手に納得し始める相手へ
何の事かを首を傾げる事で問うてみれば
「我が国の神木である桜木が、つい先日枯れた」
どうやら状況説明をしてくれる様で
取り敢えず豊原は居住まいを正し、その話を聞く
「……あの神木は古くからこの場所に咲き続け、決して枯れる事のない神の木だと言い伝えられている。それが何故か一夜にして枯れてしまってな」
「一夜にって……。この大きな桜木が?」
「何か、吉凶の前触れかも知れん。華巫女殿」
突然に相手が居住まいを正し
それに釣られ、豊原の背筋も自然に伸びる
「こんな事を突然に頼むのも不躾だが、我が桜木を救ってはもらえないか?」
「わ、私がですか?」
唐突過ぎる申し出
守ってほしいと言われても一体何から守れというのか
困惑するばかりの豊原の目の前へ
不意に、ヒトの影が現れた
刀弥かと思い顔を見上げてみれば
「……ほう。お前が華巫女か」
明らかに違う声が聞こえてくる
嫌な気配を覚え、身を引こうと踵を返すが遅く
豊原の身体はその人影に捕らえられてしまった
「な、何!?」
「こちらの国につくとはな。愚かな判断をしたものだな」

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫