《MUMEI》

見上げてみれば其処に柊の姿
広川は無意識に、逃げの姿勢を取る
余りの怯え様に、柊の溜息の音が聞こえ
「……そう怯えるな。わしはお前を、此処から逃がしに来た」
思いもよらない言葉が返された
「……多少なり事を急き過ぎたな。あの馬鹿めが」
恐らくは槐への文句を吐き捨てながら
柊は広川の身体を軽々肩の上へと担ぎあげる
「……しかし何故、儂から逃げ出した?」
正面を向いたまま声だけを向けられ
だが広川は明確な答えをかえすことなど出来ず
解らない、と首を横へと振るばかりだ
「人の身体とは不便なものだな」
嘲るような笑みを柊は浮かべると
不意に口の端から牙の様な犬歯を覗かせた
「……全ての(首)を食い千切ってやれば思い出す気になるか」
刃物の様な添えを宛がわれたのは手首
すぐに、細く鋭い痛みが広川を苛む
「……な、に?」
行き成りのソレに痛みを感じる其処を見やれば
細い痛みとは相反し、大量の血液が其処から流れ出していた
「痛ぁ……」
既に全身に感じる痛みは限界で
広川は小刻みに身体を震わせ始める
(忘れて)いる何かを思い出せれば
この状況から抜け出せる
そう解っては居ても、忘れている何かが分からず
思い出せないでいる事が今はもどかしい
「……教、えて。何を、忘れて、いるのか……」
歌え、その答えを求めてみても
柊からの返答はない
唯広川を見下し、そして苛立った様な表情を浮かべて見せるばかりだ
噛みつく様に唇を塞がれたのが直後
瞬間、広川の霞む視界が更に白濁に染まっていく

『……柊。もう、もう止めろ!これ以上は、こいつが死んでしまう!』
白濁の中、徐々に見えてくる何か
人影が一つ二つ三つと現れ、それが段々とはっきりと見えてくれば
見えたソレは、柊とその足元に倒れ伏す槐
そして広川に瓜二つで、煌びやかな着物をまとった少女の姿だった
血塗れで倒れてしまっている槐を庇う様に、少女は立ち位置を変える
『退け、鬼姫。それはお前を喰い殺そうとした愚か者だ』
『けど……!』
『お前は今に理解していない様だな。その首が儂ら鬼に取って如何に重要な意味を持つのかを』
『そんな事解ってる!』
『解っていないから言っている。その男はお前を――!』
『それでも!私は、こいつを――!』
涙に震えたその訴えを聞き、広川は我に返る
目の前に見えるのは、柊
広川はどうしてか首を横へ振る事を始め
「……槐」
何故かその存在を求めていた
「……思い出したか。鬼姫」
「槐、槐……!」
壊れたように何度も槐のなを呼び始める広川
何度目かの名を、最早吐息でしかない声で呼んだ時だった
「俺を、呼びましたか?瑞希」
相変わらずの穏やかな声で、瑞希の背後に槐が現れた
柊から広川を奪い返すと、槐もまた広川の唇へ己がソレを重ねてくる
「……あなたは昔から、大人しくして居てはくれませんね」
「エン、ジュ……」
「この男について行こうだなんて、考えないで下さい。お願い、ですから」
身体を強く抱き込まれ、首を強く掴まれた
其処にある傷口を抉るように触れられ
広川は感じる痛みに助けを求めるかの様に手を伸ばす
「そう、それでいいんです。貴方は唯、俺だけを求めればいい」
満足気な笑みが目の前
浮かべながら槐は広川の身体を横抱きに抱え上げ、踵を返す
そのまま立ち去ろうとする槐を、柊が見逃すはずが無かった
「……勝手な事を」
低い呻き声と同時、脚が蹴って回される
ソレを槐は軽い身のこなしでかわし、
「この人は、習わし通り俺が戴きます。首だけでなく、身も心も、全てを」
嘲笑を柊に向け浮かべると、また家の中へと入っていく
長い廊下が軋む音を立てるのを聞きながら
連れてこられたのは寝室らしい和室
其処に敷かれていた布団へ
槐は広川を押し倒していた
「……取り敢えず、俺の元から逃げ出した、そのお仕置きからしましょうか」
恐色だけは優しく言いながら
槐は広川の傷つき過ぎた手首を掴み上げ
態と、その傷口に歯を立てる
「ぁ……」
痛みに声を上げてしまう広川
身体の肉を食い千切られていく感覚、その恐怖に
広川は身を震わせ、耐えるしか出来ない
「……お、れ。何、で……?」

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