《MUMEI》
神の罰
『神は、罰せられた。と在るが、人は、罰せられた。とは、聖書には、ない。』
人は、神により、護られているのであり、人が、人を裁くのは、人が、神になる行為である。故に人は、人を導かなくてはならない。
神は、神の法によって、罰せられるが、人は、人の法を使う時、その祭壇にあり、神の法に見合う、人の最高者を以て、ルールと、約束と、道徳により、社会を教え、約束を教え、道徳を教えるしかない。故に、神は、神の牢獄を持つが、人は、人の牢獄を持たない。故に人は、自由である。

心は、道徳を携え、ルールのを携え、約束を携える。
よって、心の在り方とは、道徳的であり、ルールに基づき、約束を守る、在り方でなくてはならない。

よって、心は、社会に見守られ、心に、裁かれ、契約に、縛られる、在り方といえる。

よって、人は、人たるにより、社会を心で形成し、心を心により、裁き、契約を心により、縛り、決して、身体に、よらないのであって、人は、人を、導くしかない。導くのは、神であり、人でも、小羊でも、動物でもない。故に、人が、人のみで、地上に在る時、神は、神の牢獄に入っているのであり、人は、この事を知り、決して、約束を破ってはいけない。それは、神との誓いであるからである。また、ルールは、社会であり、社会は、心である。故に、ルールも、心である。よって、心の規範を授けられる。また、法は、道徳により、定義された、心の約束であり、人たる社会の道徳の在り方による規律の書であるから、これを、享受される。

よって、日々、心を、規律と規範と、誓約とに、殉じられるように、新たなる約束による恩恵と、道徳による受託と、規範による享受を共に受け、人の人たる路を活きなさい。すべては、許される。何故ならば、誓約は、神と、人とのものであり、また、社会は、心である。道徳は、在るべき姿であり、心も、道徳も、裁く法がない。誓約のみが、唯一、裁きであり、罰であり、また、誓いである。よって、神の罰の間は、人は、誓いによって成り立ち、法は、路を示すものである。故に、法は、解約される。此処に、人は、人の世界を、社会と、誓約の祭壇と、道徳の教義とに委ねられ、心の自由を謳う法には、社会を生きる法則を連ね、誓約の祭壇には、神の像を置き、道徳の教義には、神託された教義の本を置き、此処に誓約されよ。すべては、神に委ねられている。

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