《MUMEI》
切れ端
「それともなんだ、“アヅサ”なら知ってるのか?」
今にも倒れそうな状態でアラタが言う。


「アヅサは事件のあとの俺が作り出した人格だから知らない。」
樹は自分でアヅサについてアラタに説明することで違和感を覚えた。
自分で作り出したなんて、全く記憶にないからだ。


「使えない……、図体ばかり大きくて何の役にも立たないな。」
アラタは心底軽蔑した口調で言った。
樹は欲しかった蔑みの言葉を貰えた事に喜びを感じた。もっと聞きたいとさえ思ってしまう。
アラタの声には一種の人を惑わす能力があった。(声だけではないのだが。)


「帰れよ」
アラタは樹を睨み付ける。


「嫌だ」


「聞き分けの悪い奴は地獄へ堕ちるんだよ」


「どうにでもなればいい
目の前でこんな姿見せられで一人置いていける訳無いだろう!」
無理矢理アラタに布団を被せて寝かせる。
樹が柔道の寝技のように布団に体を乗せたので、アラタが身動きを取りにくそうにした。
樹は次々抑えて来た言葉が溢れ出す。

「父が犯した罪で斎藤から奪った時間を取り戻すことは不可能だけど、一生かけて死以外でもって償っていきたい。
“死”以外ならなんだって斎藤アラタに渡そう。」
樹は常に人殺しのジレンマに囚われて生活していた。心のどこかで斎藤アラタの存在を待ち望んでいたのかもしれない。

誰かに憎まれ告発されることを望んでいた。
そしてその人間に自分の人生を捧げていきたいと想い続けていた。




樹から見た斎藤アラタは長い睫毛が半分開いた右目を覆い隠すばかりだった。

「自分で何て言ったか解ってるの?今、お前は俺に全て明け渡すって言った。
俺の奴隷になるんだ、身体も心もプライドも捨てて犬畜生に成り下がる覚悟はあるのか?」
降りかかるアラタの声で樹は自分に言われた事だと理解した。

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