《MUMEI》

その頬に手を触れさせながら、槐は満面の笑みを浮かべて見せる
相変わらずその笑みは恐ろしほどに綺麗で
広川は見たくなどない、と顔をそむけていた
どうしても視線を合わそうとしない広川へ槐は笑みを苦笑へと変えながら
「……心の方は、これからゆっくり落して上げますよ」
踵を返していた
何所へ出掛けるのか、何を告げる事もせず槐はその場を後に
一人残された広川
脚が動かず、痛みと恐怖に身体を震わせるしか出来ない
だが逃げるなら今しかない、そう考えた広川は
痛みに耐えながら、何とかベッドから落ちる様に降りると床を這って室外へ
何とか辿り着くと、戸を開いた
次の瞬間
僅かに開いたその隙間から、何か影の様なものが見える
人でも着たのかと外を見やれば
だが見えたソレはヒトの姿では決してなかった
見えたソレは真っ黒な影の様な何か
広川の姿を見るなり、その手が戸をこじ開け無理矢理に伸びてくる
――見ツケタ、鬼姫。首ヲ寄越セ、オ前ノ首ヲ――
完全に中へと入りこんでしまった大量の影
ソレとの対峙を余儀なくされた広川は何をどうする事も出来ず
信じ難い目の前の現実に、唯々眼を見開くしか出来なかった
「……鬼姫!」
影が広川の全てを覆ってしまう寸前、目の前に現れた人影
その人物に、広川は見覚えがあった
「……お、前――」
柊と共に居た少女・弁天
突然のその登場に驚いた、次の瞬間
弁天は徐に着物の袂から、小刀を取り出し
目の前の影を斬って捨てていた
「……此処は、私が何とかする。貴方は、首晒しへ」
ソコで柊が待っているから、との弁天へ
広川は自身がいま、歩ける状態ではない事を告げる
「……根性で歩いて。助かりたければ」
「根性って……」
随分と無理を言う、と思いながらも早くしろ、と冷淡な視線を向けられ
広川はそれ以上何を言って返す事も出来なくなってしまい
壁に全体重を預ける事で何とか歩き始めていた
一歩歩く毎に脚の痛みが全身のソレへと変わっていく
ソレを何とか堪え、漸く首晒しへと辿り着けば
其処に広がる景色は以前連れてこられた時とは随分と違って見えた
辺り一面を覆い尽くす朱、その中に沈む大量のヒトの影の様な何か
そしてそれを見降ろしたまま立ち尽くす柊の姿があって
広川の気配に気づいたらしい槐が、だが向いて直る事はせず
「……あの男についていくなど、お前たちは随分と愚かしい選択をしたものだな」
脚元に転がるソレへ、まるで慈しむかの様に触れていた
暫くの間、その様を何を言う事もなく眺めていた広川へ
柊は徐に、懐から取り出した刃物の柄を広川へとむける
「何、だよ。これ……!」
「これ等はまだ生きている。そして、お前の、鬼姫の手によって全てを終わらせたいと思っているんだ」
その為に必要な刃物だと柊は広川の手にソレを握らせる
持ち慣れない刃物に、広川が嫌々をし
手放そうと緩ませたその手に柊のソレが重ねられる
後はもう逆らう事など出来ずに
刃物は静かに影を刺していた
人の声とも雑音とも解らない叫び声が聞こえたかと思えば
陰である筈のソレから、血液と間違う様な朱の水が飛び散った
ヒトのソレと同じようにぬるつくソレを全身に浴び、広川は眼をに開く
見える景色は、朱
その色の濃さを見、広川は身体を小刻みに震わせ始めていた
段々と自分さえもその色に染められてしまう様な錯覚を覚え
見たくなどないと、目を閉じた
何も見たくないと眼を閉じた筈だったが別の何かが見え始め
広川の現実逃避を決して許さない
『……私は、堕ちてしまったようです。鬼姫、どうかあなたの手で、俺を殺してください』
視界を覆い尽くす白濁
その奥から聞こえてきたのは、槐の声
懇願するようなそれを聞いた後、不意に景色は変わり
まるで、今と同じようなソレが広がっていった
『……もう、私の声はお前には届かないのか?本当にお前は堕ちて――』
その中で槐と対峙する女性
まるで狂人の様に声を上げ、笑うばかりの槐を目の前に、涙を流し唯立ち尽くしている

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫