《MUMEI》 成継史の機構(政権の変遷)成継史のスポットとなるのは、劉王寺政権正式分裂後の470年(原年1年)から625年(原年155年)の(過去編、前編、後編)までである。(以降、来世編あり) これからこの成継史のスポットである(470〜625年)の政権の変遷について紹介していきたい。 成継史では、政権獲得者は“大権者”と呼ばれ、大権を振るう権利【大権状】を備えている。 その大権状は毎年1月に催される原島会議によって各国の“国家元首”である香金王・立類皇より一人ずつ任命されるもので、任命基準はその時様々であるが高位者であることは確実である。 香金国・立類国の政権の推移/【】=出来事/:=大権者/()=位/ )=〜の間 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 年代 |香金国 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 432↓【原年創始】 |【470】:佐城清平 473 (太平王) 474↓【第一次原島合戦】 |【490】:佐城譱鉦 【493】 (香金平等法嚠王) ↑【鹿玉の変】…佐城父子政権崩壊 494 |:強川原鹿 519 (香金平等法嚠王) 520↓【成介、美山城奪取】 |【527】:強川原作 551 (香金平等法嚠王) 552 |:強川盛作[約7ヶ月] 【553】 (香金平等法嚠王) ↑【領点の戦い】…強川三代政権崩壊 【554】 |←【成川の戦い】 |:成白(香金彦呂介大王) 【572】 573 |:成彦[暴虐政権・約9ヶ月] 【574】(香金備逹王) ↑【粟水の変】…成家政権一時的崩壊、成彦の香金国追放 |↓【強川豊作王楼城占拠】 【575】:強川豊作[“三月天下”] | (大権状なし) |:大権者不在 【577】←【天成論興隆】 )【成継香金国統一戦線】 【579】 |:成継(香金平等法嚠王) |↓【第二次原島合戦】 【585】 | 【587】←【成継逃亡】…父・成彦による追尾応襲 【588】←【成彦、香金王・三務理殺害、自ら香金平等法嚠王を自称】 | 589 | |:成彦[暴虐独裁政権] |(自称・香金平等法嚠王) 【615】←【第三次原島合戦】 | 【619】←【成彦側(香金)大敗、成彦政権崩壊】 620 |:三家成継、成豊 |(立類太平国大皇) 【625】 ↑成豊、香金国・立類国を併合し烈帝国建国。自ら豊烈帝を僭称。 年号を“豊年”とする。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 年代 |立類国 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 453 | 【470】←【原年創始】 |:王類[臣皇・藤近広秋、森豊] |(太平皇→立類太平国大皇) 【490】←【第一次原島合戦】 【491】←【第一次天割の皇乱】…千王派が没落、王派の高揚。 | 496 497 |:王三[臣皇・藤近森豊] |(立類太平国大皇) 543 544 |:王千[臣皇・藤近森豊、森広] |(立類太平国大皇) 【566】←【反王千同盟結成】 )【第二次天割の皇乱】 【569】 ↑王家三代政権の崩壊、王派正統消滅 570 |:千源王[千王派初の大皇] |(立類太平国大皇→太平皇) 【585】←【第二次原島合戦】 )【敗兵比割国令発布】 【590】←【立類太平国大皇辞職、立類皇より勲位・太平皇を賜る】 【592】←【緑王の略】…千源王の大権状剥奪、千源王政権崩壊。 592 |:藤近森広[王家最後の大城主] |(統・緑士斎皇) 【594】←【成継、立類国上陸】 | 【597】←【反藤近同盟結成】 | 【598】←【公劉池城の戦い】…中央政権・藤近森広敗死 599 |:成継、千源王[連合統一政権] |(成継・立類盛士皇/千源王・立類禁士斎皇) 【603】←【同盟決裂し、憲嶽山城の戦い⇒うすいの陣の戦い】…千源家勢力の弱体化 【604】←【成継、千源統一戦線を開始⇒成継、立類太平国大皇就任、姓を「三家」とする】 604 |:三家成継 |(立類太平国大皇) 【606】 )【成継、立類国統一戦線を開始】 【613】←【立類国統一】 【614】←【香金国に宣戦布告】 【615】←【第三次原島合戦】 ) 【619】←【成継、世界統一達成】 | 【624】←【成継死去】 624 |:三家成豊(立類太平国大皇) 【625】 ↑成豊、香金国・立類国を併合し烈帝国建国。自ら豊烈帝を僭称。 年号を“豊年”とする。 前へ |次へ |
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