《MUMEI》
其の弐
 「ご苦労だったな。久弥」
あの場にて捕らえられてしまった豊原
そのままで連れて来られたのはとある屋敷だった
中へと連れていかれてしまえば、通された大広間で漸く豊原は解放されて
上座に座っていた人物と、目が合う
「……これが、華巫女、か。まだ幼いが中々の器量良しだな」
舐める様な視線を向けられ、豊原が嫌悪に顔を顰めれば
相手は徐に立ち上がると近くへ
寄られてしまい、だが逃げを打つより先に豊原はその人物に抱きすくめられてしまう
「は、離してよ!」
身を捩り何とかその腕から逃れると、豊原はあからさまに距離をあける
睨みつける豊原へ
相手は、だが楽しげに笑みを浮かべながら豊原の全身を改めて眺め見始めた
「着物が、地味だな」
一頻り眺めた後、徐に侍女を呼び
着物を用意しろとのソレに侍女は頷き、一旦部屋を辞すとすぐに持って戻ってくる
「こちらへ」
部屋の一角にある衝立の裏へと込まれ、その着物へと着換えさせられてしまった
「よくお似合いですわ。華巫女様」
讃辞を戴いた処で欠片も嬉しくはない
早く刀弥の処へ帰らなければ
ソレばかりを強く想う
「……私、帰る」
一人言に呟いて、豊原は長い裾を引き摺りながら踵を返した
そのまま部屋を飛び出し、長すぎる廊下をひた走れば
中庭を見渡せる一角に出る
其処に鎮座する桜の巨木
満開の花を咲かせるそれに、豊原はつい脚を止めてしまっていた
薄紅の花が美しい筈の桜、だが其処に見えるのは
血の様な朱色
有り得ないその景色に呆然と立ち尽くしていると
「壮観だろう?華巫女殿」
廊下が静かに軋む音を始め
嫌なその気配に逃げればいいモノをつい向いて直ってしまえば
先刻対峙していたその相手が其処に立っていた
「……っ!」
取り敢えず距離を取ろうと身を翻せば
裾が思いのほか長く、爽快に踏みつけてしまい豊原の身体が傾く
庭へと落ちてしまうだろうその瞬間に身構えれば
だがその瞬間は何時になっても訪れる事はなかった
「転婆が過ぎるな。華巫女殿」
笑う声が間近に聞こえたかと思えば、ふわり豊原の身体が浮き上がる
抱き抱えられていると理解したのがその暫く後で
降ろせと暴れる事を始めていた
「離しなさいよ!わ、私なんか誘拐したって何の得にもならないんだから!」
無益である事を訴えてはみるが返答はなく
抱えられたまま豊原は桜木の前へ
間近に寄れば寄る程に
豊原の眼にその色はひどく濃く、そして恐ろしいモノに見える
「……何、これ。嫌……嫌ぁ!」
間近まで連れて来られてしまえば、視界がソレに覆われてしまい
豊原は恐怖に苛まれ、目を見開いては涙を流していた
何故これ程までに恐怖を覚えてしまうのか
ソレを考える余裕などなく、どうにか其処から逃れようと暴れる事を始める
行き成りのソレに相手も油断していたのか
出来た一瞬の隙を借り、落ちる様にその腕から逃れていた
そのまま踵を返し、逃げる
「……誰か、来て。刀、弥。刀弥ぁ!」
「華巫女様!」
縋る様に呼ぶ声に、帰ってきた声
ソレが今、切に求めている声だと気付くのはすぐの事で
その姿を視界の隅に捕らえると、走る勢いのまま飛び込む様に縋りついていた
「遅くなって、すまない。華巫女様」
「……本当だよ。馬鹿ぁ!」
「鼻水、出てる」
僅かに表情を緩ませた刀弥
持っていたらしい手拭いで豊原の花を拭ってやる
鼻までかんで漸く落ち着けば
そのままふわり、豊原の身体が抱え上げられた
「……帰ろう」
相も変わらず言葉少なだが
豊原を包んでくれるその腕から、優しさを感じられる
安堵に肩を降ろし、全てを委ねた
次の瞬間
『……華巫女』
何処からか、豊原を呼ぶ声が聞こえてくる
その声に辺りを見回してみれば
豊原達の目の前に、少女が一人立っていた
「……誰?」
突然に現れたその姿に豊原は若干怯える様子を見せる
問うた声は、だが相手には聞きいれられていない様で
その少女は音も気配もなく其処に佇む
『……お前は、助けてはくれない?何故?』
「な、何、言ってんの……?」
少女は一体何を言っているのか
解らず、唯戸惑うばかりの豊原へ
少女はあからさまに苛立った様子を見せ始めた
『……この華巫女は、役に立たない。……いらない』

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