《MUMEI》
レイニーデイ 一
 五月雨が降り注ぐ夕方の昇降口。俺は一人傘置場の前で立ち尽くしていた。
「またかよ……」
 何度見返してもない。傘がない。俺の傘がないっ。
「盗まれたぁ!」
 頭をぐしゃぐしゃとかきむしりながら、地団駄を踏む。
 梅雨に入り、傘が必須となったこの時期。俺は幾度も幾度も傘盗難にあった。そりゃあ、公共の場に置いてある以上、盗まれる可能性はある。特に安物の傘など罪悪感を意識せずに持っていく輩もいるだろう。しかしどうもおかしい。毎度毎度俺の傘ばかりが盗まれるのだ。
 始めはこんな時もあるさ、と大して気に留めなかった。が、それが十回続いた時、どこかおかしいと、直感が俺に囁いた。
 持ってきた傘は元より、置き傘、果ては鞄の奥にしまいこんでいる折り畳み傘まできっちり盗まれるのだ。
 もしかしたら犯人俺をピンポイントで狙っているのかもしれない。そう思い至るとゾッとした。
 いったい誰がこんなことを……。俺に相当恨みを持った人物であることは間違いない。
 気になって気になって夜も寝られない日が続く。そのせいで、最近寝不足である。
「はぁ」
 俺はため息をつくと、外を見た。雨は未だにさめざめと降り続いている。
 安物のビニール傘とはいえ、ないと困る。濡れ鼠になって帰らなければならない。そのせいで、最近風邪気味である。
 だが、ない物は仕方がない。目の前には誰のともしれない傘が置いてあるが、俺はそんな物には目もくれない。非道な犯人とは違うのだ。
「良い男には濡れた姿が似合うものさ」
 そう独りごちると俺は雨の中に颯爽と身を投じ、
「向井くん」
 ようとした所で、女子の声に呼び止められた。
 昇降口の扉の横にたっていた女子はおずおずと俺に近づいてきた。
「田中」
 女生徒は俺の幼なじみであり、剣道部員である田中だった。正直彼女に喋りかけられるとは意外だった。彼女には嫌われていると思っていたからだ。
 その俺の考えが間違えではないことを証明するかのように、彼女はおっかなびっくりな様子で口を開いた。
「か、傘、持ってるの?」
「いや、持っては来たんだけどね。どっかの誰かに盗まれたみたいだ。雨で涙を流しながら帰るつもりだったんだ」
「じゃ、じゃあさ」
 言い終わる前に田中が声をあげる。
「一緒に……帰らない?」
 傘を突き出しながら。



 どういうつもりなのだろうか。
 俺は彼女の本心が掴みきれず、頭を悩ませていた。
 確かに小さな頃は仲が良かった。毎日のように一緒に帰り、その足で遊びに出かけた。しかし中学に進学したあたりから、彼女がどこかよそよそしくなった。
 それなのになんで今日に限って。
 ウンウンと唸る俺をよそに、彼女は黙りと傘を持ちながら歩いていた。
「おい、道具が濡れるぞ」
 傘を折半しているため、彼女の部活道具が雨水にさらされていることに気が付いた。たまらず声をかける。
「だ、大丈夫……」
「いや、竹刀を水にさらすのは良くないだろ」
 それによく考えると田中が傘を持つのもおかしい。いくら彼女の所持品だからといって、身長が低い方が持つのは大変だろう。
「持つよ」
「え……」
 田中が何かを言う前に、傘をひったくる。そして彼女の方に多くスペースをあてがう。
「……ありがと」
 田中が下を向きながら、ぽつりと言う。
「気にすんなって。俺が入れてもらってんだから」
 その後はお互い無言だった。

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