《MUMEI》

 「華巫女様。おい、華巫女様!」
頬を叩かれる僅かな刺激で豊原はゆるりと眼を覚ました
目の前にはすっかり見慣れてしまった刀弥の顔
抱き抱えられている事に気付き、慌てて身を起こせば
其処には見慣れ過ぎた景色が広がる
「ここって……」
辺りを忙しく見回し、改めて確認してみれば
ソコは豊原が住まう現代、あの桜木の前
何故突然に、と動揺し始める豊原
その肩を、宥めてやる様に刀弥が抱いてきた
「……とにかく、何所かで休もう」
刀弥の柔らかな声に
自宅が近い事を何とか告げてやれば、身体がまた抱き抱え上げられる
「と、刀弥、大丈夫!一人で歩けるよ!」
恥ずかしいから、と訴えれば
だが刀弥は聞き入れてくれる事無く、そのまま歩き出す
幸い人通りは無く、豊原宅に到着していた
「……ゆっくり休め」
豊原を降ろすと、刀弥はすぐ様踵を返す
何処へ行くのか、問うてみれば
「俺が此処に居たら迷惑だろう。その辺の木の上ででも寝る」
「そ、そんなの危ないよ!いいから、ウチ入って!」
そのまま刀弥の手を掴み、家の中へと引き摺るように招き入れた
「加奈、お帰り。あら、その人は……?」
「私の彼氏!」
何の前触れもなく刀弥を連れ帰ってきた豊原へ、驚いた様な母親
説明する事が面倒だと、豊原はとんでもないウソをついてしまっていた
勢いで言ってしまった事に漸く我へと帰ると
自分でった事に照れ、顔中真っ赤
母親と豊原、互いに顔を見合わせ硬直してしまう
「と、兎に角、私達話すことあるから、上行くね」
これ以上この場にいるとボロが出そうだ、と
豊原は刀弥を連れ自室へと上がっていった
取り敢えずは現状を整理しようと
互いが話し合いやすいように向かい合って座る
「……恐らくは、あの桜木なんだろうな」
暫く無言だった刀やが徐に話す事を始め
ソコで豊原は、自身が刀弥らの世界に行くことになった経緯を思い出していた
「そうだよ。あの桜の木……」
「華巫女様?」
「刀弥!ウチの、うちの近くにあるの!」
「あるって何がだ?」
突然の豊原に刀弥は困惑気で
だが豊原は構う事はなく、窓を全開にすると其処から身を乗り出させる
「危ないだろ!何やってるんだ!?」
「あそこ!ほら、見えるでしょ!」
刀弥が止める事も気に掛けず、豊原は指を差す
その先にはあの桜木
やはり花をつけず、枯れ木の姿のまま其処に鎮座していた
「明日、行ってみるか。今日はもう寝た方がいい」
暫くその景色を眺めていた刀弥が徐に言って向ける
疲れただろう、との刀弥へ、豊原が僅かに頷けば
どうしたのか、刀弥は不意に窓の桟へと手をかけていた
「刀弥?」
どうしたのか、小首を傾げる豊原
刀弥は僅かばかり苦笑を浮かべて見せながら
「ここの屋根の上ならいいだろう。お休み、華巫女様」
それだけを言うと、身も軽く屋根の上へ
「ちょっ……、刀弥!?」
驚き、上を見上げてみるが、そのまま刀弥の姿は見えず
豊原は溜息をつくと、仕方無く窓を閉めていた
「加奈―!御飯よ!降りて来なさい!」
同時に聞こえてきた母親の声
刀弥の事を追及されてしまうのは確実で
向かいたくはない、豊原は足取り重く居間へと降りる
「父さん、お帰り」
帰宅していたらしい父親にそう言って向けると
だが、何故か父親は深刻な顔で頭を抱え何かを唸っていた
「……どしたの?」
具合でも悪いのか、と顔を覗き込んで見れば
「加奈〜!お父さんは寂しいぞ〜!」
「ちょっ……、お父さん!?」
突然に喚きだしてしまった父親
思わず桜井が母親の方を見やれば、苦笑を浮かべて見せる
どうやら刀弥の事が耳に入ったらしく、寂しいだの悲しいだのを喚き散らしている様だった
「……私、もう部屋行くね」
だが詳しく説明擦る事など出来る訳もなく、豊原は脚早に自室へ
其処にやはり刀弥の姿はなく
ベランダから屋根の方を見上げ漸くその姿をとらえる事が出来た
「何見てるの?」
雨樋を足場に何とか上り、刀弥の傍らへと腰を降ろす
「華巫女様」
よもや豊原は屋根に登ってくる事などしないだろうとでも思っていたのか
刀弥は随分と驚いた様子で
だがすぐに困った様な笑みを浮かべながら
豊原の脚元が危なくならないよう手を差し出してやる

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