《MUMEI》
其の参
 『華巫女。目を覚まして。私の、華巫女』
夢も現に豊原は自身を呼ぶ声を聞いた様な気がした
ゆるり眼を覚ますと、誰か居るのかと辺りを見回し始める
だが誰の姿も当然になく
何となく寝床を出ると部屋の障子をあけ廊下へ
「……誰か、居るの?」
中庭を眺め、辺りを見回して見れば
やはり誰の姿もなかった
気の所為かと豊原は肩を竦め
まだ起きるには早い時間に、また寝直そうかと踵を返す
「……」
途中何を思ったのか脚を止め
屋敷の屋根を仰ぎ見ていた
「……刀弥、いるかな?」
何となく話がしたい、と近くあった気を伝い屋根の上へ
その後ろ姿を見つけ、豊原は脚音を潜ませ刀弥へと近づいて行く
触れようと、手を伸ばしたその瞬間
「……眠れないか?」
突然に振り向いてきた
息がかかる程間近に迫ってきた刀弥の顔に豊原は慌て
その拍子にバランスを崩し、身体が傾いてしまう
「――!」
落ちてしまう、と家宅眼を瞑った豊原だったが
だが何故か、その瞬間は何時になっても訪れなかった
「少しもじっとしていてはくれないな。華巫女様は」
気付けば刀弥に抱き締められその膝の上
寄り掛った刀弥の身体は暖かく
その居心地の良さに豊原は全身を凭れさせる
「ね、刀弥」
その最中、徐に刀弥を呼ぶ豊原
僅かに身じろぐ豊原に、刀弥が何だと返せば
「……あの桜の事、教えて?」
そんな申し出が
突然のソレに驚いたのか刀弥は驚いた様な顔
だがすぐに溜息を一つ吐くと、ゆるり首を横へ
「……悪いが、詳しい事は、俺も余り知らない」
「そう、なの?」
「唯、子供の頃だったか。あれは互いに殺し合う樹なのだと、聞いた事がある」
「殺し合う、樹?」
耳に物騒なソレに豊原は全身に寒気を感じ
眼下にある木を見降ろしてみる
花のない枯れた木
その姿はその言葉を如実に表している様で
見るに居た堪れない
「……辛かったのかな?」
「華巫女様?」
「真っ赤、だったから」
豊原の呟きに刀弥は首を傾げ
どうしたのか、と豊原の顔を覗き込んでくる
「……向こうの国の桜の木、真っ赤ですごく怖かったの」
思い出すのも恐ろしい程に濃く、深い赤
目に焼き付いて離れないその色に、身を震わせる豊原
思わず身をすくめてしまえば、その身体を刀弥が抱き締めてくる
「刀、弥?」
「大丈夫だ。今は、何も怖くない」
とくん、とくん
胸元に抱きこまれた其処から刀弥の心臓の音が聞こえた
そうされている内に恐怖も徐々に薄れている様な気がして
漸く、心身共に落ち付いた
次の瞬間
けたたましい爆音が鳴り響き、屋敷全体が揺れる
「な、何!?」
突然のソレに豊原がうろたえる事を始めれば
刀弥は豊原を担ぎあげ屋根から降りると、その音がした方へ
到着した其処には離れ
その母屋の至るところから火の手が上がっている
慌てふためき、右往左往する人々
ソレを嘲るように眺め見る人影を、豊原はその奥に見たような気がした
相手の方も豊原に気付いたのか、ニッと口元に歪んだ笑みを浮かべる
「……華巫女様、俺の後ろに」
刀弥が豊原を庇う様に立ち位置を変えれば
相手は口元の笑みを更に深いソレへと変え
だがあからさまな敵意を刀弥へと向けていた
「……全て、燃やしてやる」
広がっていく火の手
そこで漸く、その人物をはっきりと見る事が出来
豊原は表情を強張らせる
「……何でこんな事――」
だが恐怖よりも先に
桜木を燃やされてしまう事への憤りを相手へとぶちまけていた
「何て事するのよ!?あの桜木は――!!」
刀弥の肩越しにソレを見せられ、豊原は叫ぶ
だが相手は嘲笑に肩を揺らすばかりだ
助ケテ、苦シイ
相手と対峙したまま、豊原は消え入るような声を聞いた様な気がする
前を見据えれば、燃え上がる炎の朱
その中に、相手とは別の人影を豊原は見る
「……苦しんでる。助けてって、泣いてる」
「華巫女様?」
「助けて、あげなきゃ。早く……!」
どちらの桜も助けると決めた
ならば行動あるのみで
豊原は桜木の元へと向かおうと土を蹴る
「突出するな!華巫女様!!」
刀弥の止める声も気事をせず、豊原は炎に覆われた其処へ
途中、何度か足を縺れさせながら
半ば取れ込むようにその幹へとしがみ付いた
「……助けに、来たよ」

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