《MUMEI》
4
「信じられないよ」
編集部で大馬編集長が怒っている。栞里は編集長のデスクの前で俯いていた。
「股触られたくらいで顔面キック?」
大馬も立ってオーバーアクションで栞里を責める。
「しおりー。どういうつもり。ねえ?」
栞里は赤い顔で口を真一文字にしている。
「仕事舐めてる?」
「でも…」
「でももデマもないでしょう」
「あたし、触られたんですよ」栞里が何とか反論した。
「だーかーらー。突撃インタビューってそういうもんでしょう。テレビ見たことないのう。猛獣に追いかけられたり、ヤンキーに殴られたり、命がけだよみんな」
編集長の理不尽な責めに、たまらず堀未香子が立ち上がった。
「ちょっと待ってください編集長」
「なーにー?」
「栞里チャン、アソコを触られたんでしょ?」
「はい、触られました」
「どういうふうに?」
「もろ、こうやって数秒間」栞里はデスクの端を触った。
「ポンじゃなくて数秒間も故意に触ったんですよ。これは痴漢ですよ」
「痴漢って、そんな」大馬が勢いを失う。
「編集長は取材中なら痴漢も我慢しろと。それが編集部の方針なんですか?」
「まさかまさか!」大馬は慌てた。「危ないこと言うねミカコー。僕はジェントルマンよ。そんなこと思うわけないでしょう」
「じゃあ彼女は悪くないですよねえ?」
未香子に押されて編集長は折れた。
「悪くない悪くない。でもいきなり顔面キックってどうかなあ」
「何度もやめてくださいって言いました」栞里も勢いづく。
「編集長」未香子が睨む。「ジェントルマンなら刃山狩朗にガツンと言ってくださいよ」
「言うよ」
「ホントですかあ?」栞里が大馬の顔を横目で見る。
「何かな、その疑いの目100%は?」
「120%です」
さらに未香子が追い討ちをかける。
「もしも編集長がガツンと言わないなら、あたしが刃山狩朗を痴漢で訴えますよ」
「ちょい待ち、ちょい待ち」笑いで誤魔化そうとする大馬。「ミカコー。世の中には大げさにしていい問題と悪い問題があるでしょう…がやき」
「はっ?」栞里が露骨に顔をしかめた。
「わかった、わかった。もうね。言葉の顔面パンチを浴びせて来るから」
「ビシッと言ってくださいよ」栞里が睨む。
「俺は言うときは言うよ。悪いけど」
どこかにふざけのトーンがある。未香子が釘を刺した。
「屋台でセクハラ談義に盛り上がってきちゃダメですよ」
「何で知ってんの?」
期待は薄い。編集長がこれでは前途多難だ。栞里は先が思いやられた。

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