《MUMEI》

 自宅に戻った私は、玄関の引き戸に寄りかかった。

(悪い夢を見ていたのよ、忘れよう…)

 ふぅっと一息を吐く。

「茜、帰ってきたの?」

 奥からお母さんがやってきた。
 私は「うん」と軽く返す。

「この引越しが気に入らないのは分かるけど、荷物の片付けは手伝ってもらわないと。まだ半分も終わってないんだから」

 お母さんは横腹に手を当て、深くため息を吐く。
 玄関にはまだ、中身が詰まった段ボール箱がいくつも積まれていた。

「うん、ごめん。今から手伝うわ」

 靴を脱いでお母さんの横を通り過ぎる。
 すると、

「茜?」

 呼び止められた。
 私は立ち止まって首をかしげる。

「何かあったの?顔色が悪いみたいだけど」

「あぁ…」

 顔色悪いんだ…
 まぁ原因は間違いなくアレだろう。 

「なんでもないよ、天気が良すぎて太陽が眩し過ぎたせいかも」

「そう?」

 お母さんは私の横を通り過ぎる。

「お母さん」

 今度は私が呼び止めた。
 お母さんは立ち止まる。

「なに?」

「裸の変なオッサンが地面から生えてたんだけど、信じる?」

 お母さんは目を丸くして、眉を潜めた。

「このへんから下が土に埋まってるの」

 私は自分のみぞおちに手を横にして当てがい、言った。

「あなた、何言ってるの?」

 お母さんは心底心配しているような目で私の顔を伺い見る。
 まぁ当然だろう。自分自身何を言ってるのやら。

「ごめん、なんでもない、忘れて…」

 私は額に手をあて、自室に向かった。

 そうだ、なんでもないのだ。
 さっきのことは忘れよう。

 私は、何も見ていないのだ。

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