《MUMEI》
6
「どうぞ」
千変剥は爽やかな笑顔で、グラスを2つ持ってくると、片方を栞里に差し出した。自分もアイスコーヒーをひと口飲む。
「これ、あたしが飲んでいいんですか?」
「どうぞどうぞ」
栞里は笑顔でグラスを持った。
「いただきます」
「どうぞどうぞ」
じっと栞里のほうを見て、彼女がアイスコーヒーを飲むのを待つ千変剥に、栞里は言った。
「あ、あの人はモデルさんですか?」
「え?」
栞里は、驚いた顔でキッチンのほうを指差して聞いた。
「今そこを白いバスローブ着た女の人が横ぎったけど、あれはモデルさん?」
千変剥は蒼白になると、キッチンのほうへ目を向けた。栞里はその一瞬に2つのアイスコーヒーを取り替えた。
千変がまた栞里を見る。
「ちょっと待ってよ。今ここには僕と栞里さんしかいないよ」
「嘘!」栞里は笑った。「じゃあ、座敷わらし?」
「やめてよう」千変は本気で怖がっている。
「座敷わらしはいいんですよ」
「栞里さん。じゃあ栞里さんの部屋に何かが現れて、お化けか座敷わらしかの区別つく?」
「アハハ。つきませんね」
無責任に笑う栞里を、千変は弱気な顔で睨んだ。
「僕はお化けとかそういうの苦手なんだから。勘弁してよう」
「千変さん、おでこに大汗かいてますよ」
千変は慌ててアイスコーヒーをがぶ飲みした。栞里も笑顔でアイスコーヒーを飲むふりをして千変の様子を見る。
「あれ?」千変剥は立ち上がった。「これ、あ、栞里さん……」
千変はうつ伏せになり、寝てしまった。栞里はグラスを置くと、神妙な顔で寝ている千変を見下ろす。
「信じられない。本当に眠り薬入れたんだ」
寝息を立てる千変剥を真顔で見ながら、栞里は考えた。
「あたしを眠らせてどうする気だったの?」
まさか眠っている間に全裸にするつもりだったのか。彼女は両手で自分の肩を抱いた。
これは警察に届ける事態ではないか。しかし千変剥の画家生命を奪うことになるか。
自分がまいた種だが逆恨みは怖い。
「まずは編集長に相談してみよう」
栞里が帰ろうとすると、千変剥はムニャムニャと寝言を言った。
「栞里…」
栞里はムッとしたが、風邪でもひかれたら困る。優し過ぎる彼女は千変に毛布を掛けると、マンションを出た。
「もう。ろくな仕事ないんだから」

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