《MUMEI》

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バックヤードへ入るとすでに女性スタッフがひとり、休憩をとっていた。彼女はまだスタイリスト見習いで、主にシャンプーを担当している。他に掃除などの雑用もしているので、同じような仕事をしている親近感からか、もしくは歳がそんなに変わらないからか、彼女とはわりと仲が良い。

食事は終えてしまったようで、テーブルには空の弁当箱が素っ気なく置いてあり、インスタントコーヒーを片手に携帯をいじっていた。指を覆うあかぎれの痕が痛々しかった。

お互いに事務的な挨拶を交わしてから、あたしは冷蔵庫に入れておいた唐揚げ弁当とペットボトルのお茶を取り出して、彼女の向かい側に座った。彼女は携帯に夢中なのかあたしの方を見ようともしない。あたしも別に話したいことはなかったので、黙ってお弁当をつまみ始める。楽しみだった唐揚げはすっかり冷たくなっていたがとてもジューシーでおいしかった。ご飯がどんどん進んでいく。

「おいしそうに食べるね?」

半分くらいお弁当を平らげたところで突然、女性スタッフが携帯から目を離しそう言った。あたしは顔をあげて頷く。

「だって、おいしいからね」

「いいなー、1コちょうだい?」

「ヤダ、あたしのだもん」

「ケチだなぁ!」

そんなどうでもいい話を皮切りにあたし達は雑談を始めた。内容はとりとめもない話で、先輩に怒られたことや面倒な客に当たったこと、店長のヒゲが汚ならしいことなど、仕事の愚痴がほとんどだった。

「そういやこの前の休みに、松永さん見かけたんだ」

さんざんバカ話を繰り広げたあと、彼女は急にそんな話題を口にした。あまりに唐突だったので、あたしは箸でつまみ上げていた唐揚げを危うく落としそうになった。

へぇ、と平静を装って唐揚げを箸で口に運ぶ。ゆっくり咀嚼しながら、気になったのでさりげなく尋ねてみた。

「どこで?」

「駅前のショッピングモールだよ」

「松永さんひとり?」

「ううん、家族と一緒だった。松永さんの奥さんてキレイなんだね、わたし初めて見た」

あたしは箸を止めた。胸の中へ黒いドロドロした感情が流れ込んでくる。目の前の食べかけのお弁当を見つめる。油が浮いた唐揚げをじっと見ていると、大好物のはずなのになぜか吐き気が込み上げてきた。

「そうなんだ、あたしも会ったことないや」

興味がないフリをするのが精一杯で、あたしは顔をあげることができなかった。
そのあとはまた別の話題に切り替わったものの、それ以上食が進まず、結局食べ切れなかったお弁当はゴミ箱へ捨てられることとなった。残念な話である。



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