《MUMEI》

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待ちに待った初仕事の日、偶然にも松永さんとバックヤードで顔を合わせた。二人っきりになるのは、実にあの夜から初めてのことだった。

「何も連絡しなくてごめん」

彼はそれだけ呟いた。あたしは小さく首を横に振る。わかってるから。震える声でやっと答えた。涙が込み上げてきて視界が醜く歪んだ。

松永さんは少し傷ついたような目をして、ごめんな…と呻くように言った。謝らないで、と思った。会えなかった間、あたしと同じようにあなたも傷ついていたのなら。離れていても、お互いに痛みを分かち合っていたのなら。それだけで充分だ。


流れに身を任せれば、いつか報われると思った。想いはいつか叶うと信じていたけど。


甘かった。


松永さんは時間があるとき、あたしに電話をかけてくるようになった。そのくせたまに一緒に帰っても、あたしにはもう指一本触れようとしなくなった。
その態度はあたしに対しての誠実さは微塵も感じられず、家族を裏切っていることを後悔しているようにしか見えなかった。あたし達の間に愛情なんか、もう欠片もなかった。そして、松永さんの大切なものはあたしではなかったということを思い知った。

結局、彼はあたしの気持ちを利用して、自分のメンタルのバランスを取っているに過ぎない。家庭で発生したストレスを、あたしを使って解消することによって、家族の前で良き夫・良き父親を演じることができ、おかげで平穏で安らかな生活を送ることができるのだ。

なんとも身勝手で腹立たしいが、それをわかっているのにどうすることもできず、ただ彼の良いように利用されてしまうだけの自分が情けなくて泣ける。惚れた弱み、ということなのか。


気がついたら、好きになっていた。お互いに痛みを分かち合っているのなら、それだけで充分だと思っていた。そして、この想いはいつか叶うと信じていた。



なのに今は、どうやったらこの歪んだ関係から抜け出すことが出来るのかと、いつの間にか考え込んでいる自分がいることに気がついてハッとした。



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