《MUMEI》

 月も高く昇った深夜
床に付いたものの中々寝付けずに居た井原宅の戸を
徐に叩く音が鳴った
時間も時間なだけに怪訝に思った井原だったが
戸を叩くその音が耳に障り、仕方無く戸を開く
「……何か用か?」
其処には、あの少女
相も変わらず無症状で其処に立ち尽くしていた
何用なのか、改めて問うてやれば唐突に唇が重ねられた
「……貴方を、婆には渡さない」
「は?」
「だって、婆は私を捨てた。だから、私も婆を捨てるの」
捨て、井原を手に入れるのだと少女
状況が今一理解出来ずに居る井原
一体、この少女はないを求めているのか
まずはソレを聞きださなければ何も始まらない、と
溜息を一つ吐き、少女を家の中へと招き入れる
「ほうじ茶しかないが、ソレでいいか?」
茶筒をあける弾ける様な音が鳴り
だが、少女からの反応は無く
ソレを諾ととった井原は、適量の茶っ葉を急須へと入れ
ソコヘ沸かした湯そ注ぎ入れた
「で?お前は何で俺の処に来た?」
暫くソレを蒸らした後、湯呑へと注いでやり
相手へは腰を降ろす様顎を杓った
「……」
何を言って返す事もせず
井原が示す通りにその場へと座る相手
茶を差し出してやれば受け取り、だが何故か不思議気な顔をしてみせる
「……これは、何?」
「は?」
よもやそんな問いが返ってくるとは思わず
つい返してしまえば
相手は更にそれを井原へと突き付け、何かを問うてきた
「……茶も知らねぇのか」
「お、茶?」
更に首を傾げられ
これ以上何と説明していいのかが井原には分からず、取り敢えず
「……一言でいえば、飲むもんだ」
論より証拠、と相手へと飲んでみる様言って聞かせた
「……美味しい」
ホッと肩を撫で下ろした際に僅かに緩んで見えた表情
ソレは見た目の幼さにそぐうソレで
井原は無意識に、相手の頭へと手を置いていた
「……何?」
「いや。別なにも」
「何を、笑ってるの?」
「さぁな」
「おかしな人」
漸くそ表情が緩む
歳相応に見えるその笑みに返してやる様に笑みを僅かに浮かべてやれば
相手は笑みが返ってくるとは思っていなかったのか、驚いた様な表情を浮かべ
行儀よく茶を飲み干すと、徐に立ち上がった
「帰るのか?」
何気なく問うたそれに帰ってきた小さな頷き
相変わらず表情のない顔に
井原は溜息をつくと、戸棚から何かを取って出し、相手へと放って寄越す
「……これは、何?」
「金平糖だ。知り合いから貰ったんだが、俺食わんからお前にやる」
「……何故?」
小さな包みのソレを相手の手の平へと乗せてやれば、小首を傾げられた
理由を問われ、井原は刺して興味の無さげな表情をしてみせながら
甘いものが嫌いだから、と適当な理由を返してやる
「……ありがと」
一つ口へと頬張れば
甘いものは好みなのか、また笑みを浮かべ
少女は井原へ僅かに目配せをすると、井原宅を後に
「……やっぱガキか」
たたあれだけの物でひどく幸福そうな顔をしてみせる
その事が、井原を何故か安堵させる
「……随分と、アレを手懐けた様ですな」
直後、背後から聞こえてきた別の声
耳障りなソレに、だが井原は向いて直る事はしなかった
「しかし、お忘れ無き様。アレはいずれあなたを殺す」
「……そう仕向けるのは、テメェじゃねぇのか?」
言葉だけを返してやれば
その人物が首を横へ振ったのが気配で知れ
「あれには、屍が必要なのですよ。自ら、死を迎える為に」
「……は?」
自らの死を得る為に
唐突なその言葉に、井原は怪訝な表情を浮かべながら聞き返してしまう
「……解らぬのも無理はない。所詮貴方は死に体ではないのだから」
話しも終わったのか、踵を返す気配
漸く帰るのか、と気を緩ませた
次の瞬間
「……解ってやろうというのなら、あなたも早う死に体におなりなされ。その方が、楽になれる」
骨ばったその細い腕に自身の腕を強く掴まれた
其処から全身に広がって行く様な嫌な違和感
慌てて振り払い、相手との距離を取った
「……今日はこれで退くとしましょう。では、また何れ」
見るに不愉快な笑みを浮かべながら、老婆はその場を後にしていた
一人、後に残った井原
取り敢えず、溜息に肩を撫で下ろした
次の瞬間
突然、左腕に刺す様な痛みを感じる

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