《MUMEI》

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その強気な姿勢に不覚にも少し怯んでしまった俺はしどろもどろになる。

「何って俺は…」

素直に答えようとして本来の目的を思い出しハッとする。そうだ、沢井に構っている場合ではない。このままでは工藤君が危ない。

彼女の質問を無視し慌てて遅咲きの桜の方へ視線を向けるも既に遅く、

そこには工藤君と女の姿がなかった。


しまった。何というか本当に心の底からしまった。

「―――クソッ!」

女と工藤君が接触する決定的な場面を捕らえ損ねたことに腹が立ち思わず毒づく。隣にいる沢井も半ば呆然としたような面持ちで立ち尽くしていた。

俺は彼女の横顔を睨み付ける。せっかくのチャンスをふいにしてしまった。もう少しだったのに、もとはと言えばコイツが急に現れたから。


心の中で散々恨み言を吐いて、そこで気がつく。


コイツは何をしようとしてたんだ?


女と工藤君のもとへ迷いなく向かっていく沢井の姿を思い起こす。
もしも彼女があの女を使い、工藤君を陥れようとしているならただ大人しく傍観していればいいはずだ。放っておいても間違いなく全ては彼女の思い通りに事が運ぶ。

けれど沢井は自ら桜の方へ近寄っていった。何かにとり憑かれたように、前だけを見据えて。

まるで、何もかも見透かしているような瞳で。


―――なぜ?


「…なぁ」

おもむろに声をかけると沢井は素直に振り向いた。視線を外さず、俺は口を開く。

「何を知ってるんだ?」

質問の意味を瞬時に理解し、沢井は顔を強張らせた。

「…何のこと?」

シラを切るつもりか。俺は密かに舌打ちする。

「ここに居合わせたのは偶然なのか?それとも…」


工藤君がこの並木道へやって来ることを。

あの奇妙な女の存在を。

全て知っていて。


必然だったのか?

そう尋ねる前に、沢井は、関係ないわ、と質問をはねのけた。

「そんなこと話す必要ないでしょう?」

吐き捨てるように言ってから彼女は俺に背を向けて歩き出す。俺は黙って彼女の小さな背中を見つめていた。

2、3歩進んでから何かを思い出したように、彼女は突然振り返って俺を見た。ゾッとするほど暗い目をしていた。

「これ以上、邪魔しないで」

…あと少しなのに。

彼女は押し殺すような声で囁いた。咄嗟に返す言葉が出てこなかった。

しばらく見つめ合っていたが、沢井はフイッと目を逸らして二度と振り返ることなく、その場を立ち去っていった。


『あと少しなのに』


一体何のことだ?


彼女の言葉の真意を探しながら、俺はそこに立ち尽くしていた。

春の強い風が吹きぬけて、桜の花びらが忙しなく舞い踊った。これから起こる波乱の予兆のように。



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