《MUMEI》
後日談
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「…昔、駆け落ちをしようとしていた男女がいた。
男は名家の御曹司、一方の女は貧しい家の出身で身分違いの恋に悩んでいたのね。二人は桜の木の下で落ち合う約束を交わしたのだけれど、いつまで経っても男は現れなかった。男は全てを失うことを怖れたようね、結局は土壇場で女を見捨てたの。
男の裏切りを察した女は怨みながらその木で首を吊って自殺した。そのあと男は原因不明の奇病にかかり間もなく亡くなったらしいわ。女の呪いだと謂われてる。
男は消えたけれど女は成仏できずに、あの桜の木の下に現れていたそうよ…」

校門から出て並んで歩きながら憂は例の桜の木にまつわる男女の悲劇を淡々とした抑揚で語った。工藤君の嫌がらせの件が解決してから1週間が過ぎていた。


ずいぶん詳しいことを疑問に思いそれを彼女に尋ねてみると、スミヨに聞いたと答えた。ついこの間二人でお茶をしたのだという。いつの間にそんなに仲良くなったのかと少し驚き、そして呆れる。


しばらく歩くと話していた桜並木の道へ差し掛かった。1週間前、美しく咲き誇っていたあの遅咲きの桜はその花びらを全て散らし、若々しい緑色の葉を生やしていた。

当然ながら、女の姿はもう見えない。


桜の木の下へ歩み寄り、俺はたくましいその枝を見上げる。



『昔好きだったひとに似ている』


女にそう声をかけられたと、工藤君は話していた。


呪い殺したあとも、女はずっとあの桜の木の下で探し続けていたのだ。


かつて愛した男の幻影を。


「工藤君、すっかり元気になったみたいね」

俺の隣で、憂が他人事のようにそう呟く。俺は黙って頷いた。


父親が除霊を済ませた直後から、工藤君はみるみるうちに生気を取り戻した。顔色が良くなり、声に張りも出てきた。

しかし、あの女―――レイコが彼の前から忽然と姿を消したことは相当堪えたらしい。当初、彼の落ち込み様は目もあてられないほどひどいものだった。俺や憂も彼に八つ当たりのようなことも言われた。憂は彼の態度が甚だ心外だったようで憤っていたが、彼の気持ちを汲めば仕方のないことだと思う。

工藤君にはレイコの正体を未だに伏せている。沢井の嫌がらせのことは父親の除霊によって既に解決したのだし、真実を教えることによって彼がさらに傷つく必要もない。世の中には知らない方が幸せなことはたくさんあるのだ。


たとえ今は辛くても、きっと立ち直れるだろう。俺はそう信じている。


「あら?」

何かに気がついたように憂がのんびりとした声を出す。俺は彼女を振り返った。

「どうした?」

尋ねたら、憂は答える代わりに指を差した。俺もそちらへ視線を流す。

俺達がいる桜の木より少し離れた場所に、見知った人物が立っていた。沢井だ。

彼女はこちらへぼんやりとした目を向けていた。どこか寂しそうな瞳だった。



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