《MUMEI》

「えっとあの、歯磨き粉と洗顔料を間違えました」
「ちょっと待った」
ろうそくの炎が消されようとするのが止められた。
「君、先刻もそんな感じの話だったよね」
 一回切りと一応釘を刺されていたのだが。失敗談といっても、色々な次元があるとは先に述べたが、明らかに話の内容に格差がありすぎるのも問題である。一般的な実験として、正確さが失われる危険もあり得るではないか。
「えっとあの、」
「もっとああ失敗したぁっていう実感のあるのを話して下さいよ」
 さすがに数人から苦情も出る。何せ百話分の失敗談を聞かなければならないのだから、つまらない話ではなく、興味のわく話が聞きたいと思うのも道理であろう。五十本以上のろうそくの炎が消えており、皆の緊張の糸も中だるみの状態に陥り始めている。
「えっとあの、忘れちゃうんです」
「は?」
「えっとあの、あたし、失敗したことは忘れちゃうことにしているんです」
 ろうそくの炎で照らされた顔々を皆が見合せた。
 じゃあ、あんたここに何しに来たんだ。
 全員、共通の意見であろう。
「えっとあの、どうでもいいことは覚えています。でもこれも失敗談ですよ」
 言い切るかどうかの素早さで、ろうそくの炎が吹き消された。ほとんど問答無用である。
「まぁ、余程忘れてしまいたいような失敗だったんでしょうね」
「余計聞きたかったよな」 結局、炎は消えてしまったので、妥協する方向で実験は進む。失敗談のピンからキリまでを、一々あげつらっていたのでは、一向に全く話が進まないからである。最初から怪しいものではあったが、実験の方向性が多少軌道修正された模様だ。とにかく百話目を目指し、彼らはひたすらに話を続けたのであった。
「えっとあの、お昼に賞味期限の切れたプリンを食べてしまいました」
 またか。表情は皆そう物語っている。うんざりもするが、これが百話目であった。最後が何とも締まらない。気の抜けた感はあるが百本目のろうそくの炎が吹き消されようとする。制止の声はかからずに炎が消えて、部屋が真っ暗闇になった。期待が込められた沈黙が辺りを包む。再び口を開く者は中々現れなかった。しびれを切らしたように、教室の蛍光灯のスイッチが入れられる。
 果たして。怪談百物語りではないので、当たり前だが起こっていたことは、人数が一人増えていたのではなかった。

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