《MUMEI》

 宿と食事が揃った店なので酒場も一緒なのだろう。酒を呑む男達が数人いた。既に上機嫌の客が、給仕の娘を押し退けて、彼に近寄ってくる。
「あんた商人かい」
「名前は何ていうんだい」
 暇潰しなのだろう。口々に声をかけてくる。酒を進められ、両脇から、更に酒を注がれるのを、
「苧環と申します」
と自己紹介しながら、青年は次々に飲み干した。
 男達は酔いつぶれ始めているが、苧環と名乗った青年は全く涼しい顔である。
「何を売るんだい」
「商売ですか…わたしが販売するのはこれですよ」
 微笑んだ苧環が、懐から握った拳を取り出した。
 皆の視線が集まったのを確認して、手のひらが上になるようにすると、ゆっくり開いていく。
「卵?」
 嫌悪の声が上がった。
「そんなもの売れねぇよ。あんた知らねぇのかい」
 急に酔いが醒めたかのように、店内の空気が冷たくなる。雨季、卵殻庭は卵に塗れるため、住人は皆、しばらく卵を見るのも嫌だという心理状態に陥るのである。
「ならば、こちらでは?」
 全くたじろぐ様子のない苧環は、口元に笑みを湛えたまま、片手で卵の登頂部分を数回叩いた。
 出ておいで。
 簡単に卵殻が割れて、姿を現したのは、黄身でも白身でもなかった。
 福々と咲き誇る深紅の薔薇だったのである。
「綺麗」
 給仕の娘の、ため息のような感嘆の声が零れる。
「ありがとうございます。それでは、こちらはお嬢さんに差し上げましょう」
 満足そうに微笑み、頷く苧環が、娘の胸元に花を飾ると、彼女は頬を染めた。

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