《MUMEI》

.


しかし、


右手をつかんでいる憂の手がギュッと固く握りしめた。強く、強く。肌から伝わるその熱に、俺は辛うじて自分を見失わずに済んだ。

俺は瞼をきつく閉じる。



―――恐れるな…。



俺は、死なない。

自分に負けたりしない。


彼女の手を強く握り返した。俺は大丈夫、という意味を込めて。


どのくらいそうしていたのか。


周りは不気味なほど静かだ。嫌な予感も消え失せている。俺は恐る恐る目を開けた。

目の前にいたはずの女は消えていた。怖々振り返って背後を見る。誰もいない。隣に手をつないだままの憂がいるだけだ。
試しに彼女の手を強く握ってみる。柔らかな弾力の肌と微かな熱を感じた。


生きている。

勝ったんだ…。


ようやく俺は安堵した。
憂はするりと力を抜いて、俺の右手を解放する。冷えた空気が滑り込んだ。彼女はゆっくり呟いく。


「…まだ終わりじゃないわ」


俺は憂の顔を見た。彼女はすでに俺を見上げていた。

「女はこれからもあなたの前に姿を現すはず。いつでも、どんなときでもね」

でも…とそこでひと息ついて長い髪を耳にかけた。

「あなたが常に強い心を持っていれば、絶対に負けることはないわ」


そう囁いて見せた表情は、

普段とは違う、晴れやかで柔らかな微笑だった。


きっと憂も不安だったのだろう。自分の持論があくまでも可能性の話であったから、間違いなく女を回避できるのかわからなかったのだ。

俺は彼女に頷き返した。


ああわかってるさ。この先また女が姿を現したとしても、もう自分を見失ったりはしない。



君の温もりが教えてくれたから。


「…さて、本を探さないと」

いつもの無表情に戻った憂がまた本棚に向き直る。その声に俺は検索結果を思い出し、すかさず彼女の背中に向かって声をかけた。

「そのことだけど、君が探してる本はこの店にも置いてないみたいだよ」

すると憂は驚愕したようで、勢いよく振り返った。その拍子に彼女の黒い髪がフワリと揺れる。

「それは本当なの?」

「さっき検索したんだ」

淡々と返すと憂は少し考え込んだようで沈黙したあと、仕方ないわ、と肩をすくめた。

「インターネットで取り寄せるしかなさそうね」

だったら最初からそうすれば良かったのに…と思ったが、今日に限っては彼女のおかげで助かったこともあり、まあ良しとした。


俺達は揃って書店を出たあと、そのままお互いの家に帰った。



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