《MUMEI》

不意に少女が井原の腹を跨ぐ様に乗り上げてくる
「……解らなく、なる。自分の意思なのに」
それがもどかしいのだと訴えながら
井原の着物の袷を掴むとソコヘと顔を伏せた
抱きしめてやる訳でも、突き放すでもなく
井原は唯されるがままだ
「……私だけの、死に体」
僅かに見開かれた眼球は小刻みに震え
まるで怯えている様にも見えるその様は見るに居た堪れない
「……お前は、どう思ってんだ?」
「何が?」
取り敢えず落ち着かせてやろうと、声色も柔らかに問うてやれば
何の事か分からなかったらしく、少女は小首を傾げて見せる
ヒトの、存在価値
そんな事を考える羽目になるとは思わなかったと、苦笑を浮かべる井原へ
少女は暫くの間の後
「……私は、婆とは違う、から」
短く、それだけが返ってきた
だが、それだけで充分だと井原はb口元に僅か笑みを浮かべて見せる
「なら、お前の意思とやら、信じてやれ」
「信、じる……?」
「ヒトってのは、自分の意思にのみ、従順になれる生き物だからな」
「自分の、意思……」
復唱しながら暫く考えこむ様な素振りを見せ
またゆるりと言の葉を紡ぐ事を始める
「……私は、(死)というものが欲しかった。その為だけに、長すぎる(生)を永遠生きてきた」
「……」
「婆を殺して、漸く、全てが終わる」
少女の言っている事は今一理解出来るものではなかった
唯、切に死を願うその眼の色がひどく暗いそれだと
井原は深々しい溜息をつく
「……行くぞ」
話しが途切れた其処を見計らい、井原が少女の手を引き歩き始める
途中、とある界隈に差し掛かると歩いていた少女の脚が不意に止まった
前を見据えるその視線を井原も追って見れば
一面に咲く紫陽花
咲くその彩りは眼に痛いほど鮮やかな朱
こんな場所があったのかと、その色に見入ってると
辺りが、不意にざわつく事を始める
井原達意外人気など無い筈の其処に
大量の人の声の様なソレが響いていた
「……泣いて、る」
「は?」
立ち止まった少女は手近な紫陽花の傍らへと膝を折り
花弁へと忙しなく手を触れさせた
「……もう少しで、全て終わる」
花弁一枚一枚に柔らかな口付けを落とし、僅かに微笑んだ
その笑みは一体何を思ってのそれか
井原に、知る術は無い
その様に暫く見入って居ると、少女が徐に顔を上げ紫陽花を一つ手折る
そして井原へと膝を屈める様言って向けた
その言葉通りに膝を屈めてやれば、唇に花が宛がわれる
何のつもりか、問うてやるより先に
ソレが、口内へと押しこまれた
「――っ!」
「……これが、弔い。飲み込んで」
口内に広がる青い味
その不味さに、喉の奥に嫌な酸味が広がって行く
だが少女の唇で己がソレを塞がれ
出す先を失ってしまったソレを、飲み込むしかない
「……テメェ、何する――!」
本来食むべきものではない青臭さが口内に広がり
井原は耐えきれずに咳込んでしまう
「……ありかとう。これで、報われる」
行き成り何をするのか、と
文句の一つでも言ってやろうと顔をあげた井原へ
少女の穏やかな笑みを向けられ、つい何も言えなくなってしまう
「出掛けるのは、夜。それまで、休む」
その笑みは一体何を意味するのか
やはり何を言う事もせず踵を返し井原宅へと歩いて行く少女
喉の奥に不愉快な味を未だ感じながら
深々しい溜息をつくと、井原はその後を追ったのだった……

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