《MUMEI》

 「珍しい事もあるものね。総さんが酒に付きあってくれだなんて」
昼の喧騒など当に消え失せた深夜
あの後、漸く歩き始めた井原の姿は自宅ではなく
行きつけの居酒屋にあった
閉店間際に尋ね、理由も語ることなく唯一言酒を飲ませて欲しいとの井原へ
店主は井原を店内へと招き入れてやり、酒を出してやりながら探る様に顔を覗き込んできた
だが説明など出来ず、またしてやる気もない井原は別にを短く返すばかりだ
「……ま、来ても話してなんてくれないんでしょうから、深くは聞かないでいてあげるけど」
含みのあるそれを返しながら
相手は徐に井原の着物の左袖を托しあげる
剥き出しにされた骨にはヒトとしての温もりなど欠片も感じられない
「……ヒトなんて、皮・肉を削いでしまえば脆いものね」
指先で小突かれ、それが硬質的な音を僅かに立てた
「で?ちゃんとケリは付いた訳?」
からになった井原の猪口へ
また酒を注いでやりながら相手が徐に問うてくる
実のところ、その事については井原自身さえもすっきりとはしていなかった
ソレが表情につい出てしまっていたのか、相手は僅かに肩を揺らす
「外に、何かあるのかしら?」
「は?」
話しも途中、無意識に外へと気を散らしていたらしく
だが井原は誤魔化すかの様に酒を一気に煽った
「何か探してるって顔、してる」
「……別に、何でもねぇよ」
努めて素気なく返し、井原は猪口をおくと重い腰を上げる
帰る旨を短く伝え、避け台を若干多めに置くと身をひるがえした
立ち去り際
「ちょっと待って。総さん」
呼びとめられ、何かと向いて直って見れば
「これ、あげるわ」
小さな包みを手渡される
何事かを問うてやれば
「知り合いがが食べないからって大量に持ってきたのよ。私一人じゃ食べきれないから」
上げるわ、と白い布に包まれたソレを手渡され
井原は一応は礼を言い、その場を後に
外は、小雨が糸の様に細く降っていて
傘など持ち合わせていなかった井原の全身を徐徐院濡らしていった
唐突の雨だったのか、道行く人々は皆雨宿りのため小走りで誓うの軒下へ
だが井原はソレをどうしてかする事はせず、雨の中をゆるり帰路を進む
途中、見覚えのない路地へといつの間にか入り込んでしまい
それでも気に掛ける事など無く、そのまま歩いて行く
一体、何に気落ちしているのか
自身の事だというのに、全く分からない
からん・からん
「……?」
そんな自身に嫌悪していた、その直後
微かに耳を掠めたその音にふと脚を止め
回りを見回してみる
だがこれと言って珍しいないがある訳でもなく
改めて前を見据えた、次の瞬間
井原は細い路地の隅に、僅かばかり紫陽花が軍政していた紫陽花を見つけた
その紫陽花が何となく気になったらしい井原
そちらへと脚を向けて見れば
其処には純白の花をつけた紫陽花が咲いていた
紫陽花がやはりあの少女を思い出させるのか
井原は貰った金平糖をその根元へと供えてやり身を翻す
「……私は、前の金平糖の方が好き」
背後から聞こえてきた、金平糖を齧る音とか細い声
弾かれた様にそちらへと向いて直ってみれば其処に
紫陽花に隠される様に身を横たえていた少女の姿があった
身借りした男の姿のままではなく、少女本来の姿で
「……文句があるなら食うな」
何気ない会話を交わしながら、処女の手からソレを取り上げてやれば
少女が爪先立ってそれを取ろうとしていた
「誰も、食べないなんて、言ってない」
返せ、と更に背伸びする少女へ
井原は漸くフッと表情の強張りを解くと、それを返してやり
そして、少女の手を取っていた
何故こんな事をしてしまったのかは井原本人でさえも解らない
だが繋いだ手が妙に馴染みのあるソレの様に感じ、どうしてか離し難かったらしい
「何所、行くの?」
無言で歩いて行く井原へ問う事をしてみれば
丁度、とある場所でその脚は止まっていた
目の前が途端に開け、その場所一面に咲く紫陽花
その色は、全てが無垢な純白だった
生まれたての赤ん坊の様なソレを暫く眺め
そして少女が僅かに肩を揺らす
笑った様なそれではない事に気付き、そちらへと向き直って見れば
少女の頬を一筋、涙が伝った

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