《MUMEI》

「もう一つ話をしようか」
 ある種の妙齢の女が見せる独特な微笑みが、あまり似つかわしくない少女の口元に浮かべられる。
 気がつくと、ようやく生物学者がどこかに姿を消していた。今夜の宿へと引き上げて行ったのだろうか。
 朱色に染まる彼方では、徐々に影の幕が降ろされていく。
「杓子岩を知っている?」
 問いかけに、地質学者は首を縦に振った。
 杓子岩は夜、その脇を通る者に、杓子を出して物を要求する岩である。
「所謂、落ちぶれた欲しがりの神だよね」
 零落した神。
 確か、境の神も欲しがりの神ではなかったか。
 要求することで、人の心中を探っている神。
「何かを求められた者が、思い通りに行動しなかったら…神は一体どうするんだろうね」
 神というのは恩恵だけを授けるものではない。
 首を収集する夫婦の妻に姿が重なる。更に、その夫の辿る昏い道行き。
 要求する者と実行する者。どう進んだとしても、結局は皆、破滅してしまうのではないだろうか。
「先刻のおじさんにあげた石だって、用心した方がいいんじゃない?」
 地質学者が少女の顔を見る。
「欲しがりの神か。石は一体、何を要求するんだい」
「さぁて。境の神は遮るもの。内側に入り込む全ての悪を防ぐ守り神でもあるんだけど…」
 つまりは悪い者であれば排除されるということか。 具体的には何も起こしていないというのに。
「石は持ち主に影響を与えて、本人の心根によって石も変貌する。そうして結果も変わるだろうね」
 あの時、少女から石を受け取っていたら、自分はどうなったのだろう。
 陽は落ちて、闇が近づいてくる。

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