《MUMEI》

 「起きた?秋夜」
血の饐えたような臭いに鼻孔を犯され、羽野は意識を取りもどしていた
頭痛を伴う最悪な目覚めに顔を顰めながら身を起して見れば
見える景色は見知らぬソレで
一体此処は何なのかを目の前の人物へと無言で問う
「ああ、ここ?此処な、元々病院だった建物みたいだな」
周りを見回しながらの和人の声はやたらと楽しげで
表情を歪ませて笑うその様はまるで狂人だ
「此処、いいもん落ちてんだよ。……これ」
笑う声はそのままに、和人が見せてきたのは何かの薬液が入った注射器
床にでも転がっていたのだろう、同じ色をしたそれが入ったアンプルが床には散乱している
「それ、何だよ?」
嫌な予感に声を僅かばかり震わせながら訊ねてみれば
和人の口の端が厭らしく孤を描いて行く
「……恐がる必要なんてないって。みんなこれ使ってんだから」
その中のアンプルを一つ拾いあげ、中の液体を注射器で吸い上げてみせる
態と羽野へと見せつける様にして見せた後、和人はその針先を自身の腕へと突き立てた
「和人、お前……!?」
「大丈夫だって。気持ち良くなれるんだからさ」
使ってみるか、と目の前へと差し出され、羽野は当然首を横へ振る
見るまともではない和人の様子
何の薬物か分からないうえ、その安全性は限りなく疑わしい
「……何だ。つまんねぇの」
拒絶された事に苛立ったようにその注射器を床へと叩きつける和人
砕け、割れた破片が飛び散り、羽野の頬へ浅い傷を付けた
僅かな痛みに、だが羽野は顔色一つ変える事無くただ和人を見据えるばかりだ
「……つまんねぇよ、秋夜。本っ当、つまんねぇ」
「……悪かったな」
謝ってやる義理はない
だが、他の言葉をどれ程繕おうとも今の和人には無駄な様な気がして
唯、それだけを返すしかその時の羽野には出来なかった
一体何故、何が和人を狂わせたのか
そしてあのアンプル
解らない事ばかりが増え過ぎて行く
「なぁ、秋夜。B.S寄越せよ。お前が持ってんだろ?」
「何の事だよ?」
和人が何を言っているのかが理解できなかった
B.Sはこのゲーム全体の標的で
何の興味も示す事をしていない羽野が何故それを所有しなければならないのか
怪訝な表情が羽野のソレに浮かぶ
様々考える事をしている内に間合いを詰められ、手首を捕らえられてしまう
そのまま土埃積もるん床へと押し倒され
その弾みで待った埃で視界が白く煙る
「は、なせ!」
何とか振り払ってやろうと手を拳に握り
勢い付けて振り回したそれは運よく和人の顔面へと当たり
痛みに慄いたその隙を借り、そこから逃げ出していた
自分は一体、何から逃げているのか、何故逃げなければいけないのか
進む道もまともに確認する事をせず
闇雲に走りながら頭の片隅でそんな事を考える
だが答えなど当然解る筈もなく
取り敢えずは落ち着いて考えたい、と手近な廃ビルへと飛び込んだ
「……和人」
まるで別人の様に鳴ってしまった友人
一体何があってああなってしまったのか改めて考え始めた
その直後、僅かな足音がゆるり響く
羽野はとっさに物影へと身を潜ませ、息を殺し様子を窺う
「……そんな警戒しなさんな。俺だ」
現れたのは近藤
見知った顔に羽野は無意識の内に身体の強張りを解いてしまっていた
「手首、すごい痕だな」
すっかり痣になってしまっている手首を取られ
僅かに熱を帯びてしまっている其処に低い体温が触れてくる
何故か心地よさを感じ、羽野はそのまま身を委ねていたが
「……アンタ、、何で此処に居るんだよ?」
気に掛った事を問うていた
近藤は素知らぬ振りを装いながら
「俺か?偶然の通りすがりだ」
「嘘だろ」
そうだとすれば随分と都合のいい偶然で
ソレを怪訝に重い表情を顰めれば、だが近藤は漂々とした顔
わすかばかり腹が立ったが、文句を言う気にはなれなかった
気に掛けるべきは今この状況ではなく、和人の事
もう一度会ってみなければ、と羽野は近藤の手を軽く振り払うと踵を返した
意を決し歩き始めた羽野。その身体が背後から突然に抱きすくめられる
「なっ……!?」
「少し震えてるな。恐かったか?」
近藤は羽野の肩へと顎を載せながらそれを指摘してやる
僅かにだが小馬鹿にされている感が否めず

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫