《MUMEI》
事件
 お世話になるのだからと、身に付けていた妙に豪華な装飾品を全て売ってしまった今、ティアラにはすごく気にしていることがあった。

 それは、ティアラが身に付けていた物の中でも最も高価そうな、金の腕輪のことだ。

 精緻な装飾が施されたあれだけが、どうやっても売れなかった。

 あらゆる手を尽くしたが、腕から外れなかったからだ。

 なんだか後ろめたくなったティアラは、そのことをジークに黙っていた。

「この町って、すごく活気があるわ」

 気分を盛り上げようと、苦し紛れに口に出してみたが、そういえば本当にそうだ。

 そう思えば、ティアラのテンションは否が応にも上がった。

「ロット国のガサラ。世界有数の交易の町だ。三つの国の国境の境に位置しているから、様々な物資が……って聞いてないな」

「見て、この布すごく綺麗。……こんな宝石初めて見るわ。あらこの果物おいしそう。黒ニャン、食べる?」

「おい、先に宿をとるぞ。買い物はその後だ」

 ジークはすぐそこの小さな建物にひょい、と入っていった。

 この時のジークが、ティアラのあまりのはしゃぎように、持参金が買い物に消えてしまうことを危惧した、などという事情を、彼女は知る由もない。

 ティアラも慌てて後を追う。

   * * * 

「いらっしゃい、二人かい?」

 気のよさそうな、宿の女主人が聞いた。

「ああ」

「そんじゃ、二部屋でいいね」

「……待ってくれ」

 ジークは、しばし悩んだ。

 彼は、いささか世間知らずな様子のティアラを宿で一人にすることを躊躇したのだ。

「……二人部屋にしてくれ。できれば間に仕切りを」

「あいよ」

  *   *   *

 ジークがてきぱきと宿の部屋をとっているのを見ながらぼうっとしていると、ふいに、誰かがティアラにぶつかってきた。

「…ちっ、痛ぇな気を付けろ!」

 …なによ、気を付けるのはそっちの方じゃない。

 そう思っていると、突然、肩の上に乗っていた黒猫が毛を逆立て、外に走り出ていった。

 慌てて追うと、数十メートル先で、もうすでに事件が起こっていた。

 目を凝らし人垣の足の隙間を見るとそこには、さっきティアラにぶつかってきた大男と、大男にふんずけられた黒猫がいる。

 さらに悪いことに、大男は剣を抜いたのだ。

 ティアラは真っ青になった。

「やだっ、待って!…黒ニャン!!」

 悲鳴のような声を上げ、ティアラは人垣に向かって走りだした。

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