《MUMEI》 道連れもはじまり―2『父さん、お久しぶりです。 あまりにも久しぶり過ぎて娘の顔も忘れてしまっていませんか? 私は相変わらず元気で旅を続けていますが、そちらはもう暑くなっているでしょうね。 父さんやみんながどんな暮らしをしているのか、それさえも分りませんが』 静かな昼下がり、木漏れ日が差し込む宿の一室。 少し前まではインク壺にペン先があたる音、そのペンが紙の上を迷いがちに走る音が交互に聞こえていたけれども、今は静寂だけがその部屋を独占していた。 ペンの動力源だった手もすでに両脇に投げだされている。椅子の背にもたれ天井をあおぐ少女に、もう一度ペンを執る気力は欠片も見当たらなかった。 春を過ぎた季節はなにをせずとも汗がにじんできて、暑いと文句を言わないまでも不快感を感じる。上手い言葉や言い回しがちっとも浮かんでこない故郷の父へ 宛てた手紙にも、少女は早々に嫌気がさしてしまった。 そもそも故郷を離れてこれまで相当な年月がたっている。けれども一度として書いたことがなく、こうして実際に書き始めようとしたのも今回が初めてだ。 普段は気になったことや印象的なことを書きとめているのに、こと手紙に関してはどうしていいのかわからなかった。 つと、少女は椅子に座り直してからインク壺の蓋を閉めてしまった。 そして書く事をあきらめた父への手紙は裏返して、手記の下に滑り込ませる。こうしておけば連れの青年に、自分が手紙を書いたことがわからないと思った。 なんでだろう。 無意識にそうした自分がやはり無意識に疑問をうかべる。 昔は何だって話して、何だって共有していた。道を間違えて危険な目にあったこともあれば、苦しいぐらい笑ったこともある。 今だってその関係は変わっていないはずなのに、なぜか時々、とんでもなく遠い所にいるような感覚だった。 手紙を書いたことだって、別に悪い事ではないのに。それを隠そうとしている自分も、なんとなく変だと少女は思った。 きもちわるい。 もやもやする。 はあ、と大きくため息をひとつついてから寝台に倒れこんでみる。 起きぬけのままだった毛布に顔が埋まって少し息苦しかったけれど、太陽に当たっていた毛布は心地よいぬくもりだった。 青年とともに遅い昼食をとってからそう時間はたっていない。その事実が少しだけ少女をたしなめる。 けれどそのままもそもそと靴を脱いで素足になると、少女は適当に毛布を抱えて目を閉じた。 昼食のあとに襲ってくるこの眠気にはなかなか抵抗できなくて、余計に何もする気が起きなかった。 するり、眠りの波に飲み込まれ―― 「あんまり」 「わぁ!!」 ぎしっ、と少女の驚きに跳ねた重みで寝台がきしむ。 「…寝てばっかりいると溶けちゃうよ?リン」 今、空に浮かんでいる初夏の太陽のように生暖かい笑顔。手にいくつかの荷物を抱えた、青年の額にはほんの少し汗がにじんでいた。 さわりと部屋に入りこんできた風もやはり生暖かかったけれど、なぜかリンは鳥肌がたってしまった。 青年の、暗い夕焼け色の目をじっと見る。 「……………それ、ほん」 「嘘」 「おやすみ」 言うなり、リンは落ちかけた毛布をさっさと足元に掴みあげ、ぼふっと寝台に倒れこむ。 昔からなんでも教えてくれた、リンにとっては先生であり家族であり、兄でもある幼馴染は最近本当に意地が悪くなった、と少しうんざりして 口をまげる。自分がなんでも信じるからいけない。そうやってリンは自分を叱咤する。 前へ |次へ |
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