《MUMEI》

「日本に帰りましょう。舞台の役には代わりはいますが、貴方は一人しか居ません。」

彼から目を離した、私のミスだ。
妻の容態が急変してから、今まで一緒に暮らしていた借家を売り、結果彼を追い払う形となり、一時的に他のスタッフにマネージメントを任せてしまった。
その間にあんなことがあったのだ。


「そんな、いきなり過ぎますよ……もうすぐ舞台が始まるのに。それに俺……やりきりたいです。」

彼は頑として聞かない。


「じゃあ、一昨日に何が起こったのか教えてください、それで判断します。」

言えないなら強制送還だ。


「猫が……猫が、窓を開いていると、最近入ってきていたんです。
俺は飼っている気になって、その猫を餌付けしてました。
なかなか懐かない猫で、部屋中を暴れてました。
でもそのうち、猫には無数の傷があることに気づきました。
前足の骨も折れて放置されて変にくっついていました、俺はその猫を飼うことにしました。
家に帰ると物音がしました、猫のためにあらかじめ窓に隙間を開けてありました。
ところが、待っていたのは猫ではなく、人間でした。

彼は呂律が回ってなくて、普通の状態ではないと思い、ドアから逃げようとしました、けれど扉にはそいつらの仲間が待ち伏せていたのです。」

彼の唇は後半に行くにつれ、悸き始めた。


「それで、あの傷ですか……打ち所が悪くて気絶したんですよね、その男は昨日私が部屋に入ると警察か何かと勘違いして、貴方を死んだと思い込んでいましたよ。」

昨日、演出家に肩の動きについて指摘され急いで病院に行った。
軽い打ち身だったが色が毒色で目眩がした。


「……俺は扉側の奴らに羽交い締めにされました、呂律が回っていない男は俺を見て喚き立ててました……確か前から好意を寄せてたとかなんとか……すれ違いに一、二度の挨拶をした程度でした。そして……信じてもらえ無いでしょうけど……」

彼はそこで口を噤んだ。


「けど?」

私は駒を進めて追い詰めてゆく。


「……無理矢理口に入れられました。」

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