《MUMEI》 「では、帰ります。」 丁寧に一礼して、鷹は去って行った。 彼の胸ポケットの携帯が鳴りっぱなしだったが、電源を切った。 お茶を飲んで行かないかと言いかけたところで彼からの静かな怒りをぶつけられた。 「二郎の傷は少しずつ広がって行くでしょう。 貴方のマネージャーとしての手腕は確かなものです、だから二郎の人生を任せていました。 貴方を責める権利はありませんが、あと少し注意をしていれば、もっと好転していたでしょう。 嫌がっても絶対に二郎に明日から最低でも三日間は休ませて下さい。 あいつはこの仕事しか無いように錯覚してますけど、こちらにとっては彼の平穏が優先んです。 どんな残酷になってもいいので、重荷になるくらいなら遠慮なく帰してください。大きな傷を負わせるくらいなら、貴方のその一瞬の切り口で楽にしてやってください。」 時折、携帯を握るのが印象的だった。 間接的に、私の言葉で彼の役者人生を終わらせろ、ということなのだ。 この仕事は大学を出てからやってきたが、こんな俳優は始めてだ。 「篠さん……俺、まだやれます。だからここに置かせて下さい。」 鷹にすっかり感情を暴かれてしまい、今にも壊れてしまいそうな彼がいた。 そして私も、改めて鷹の言葉から、一度はマネージャーとしての信用を裏切ったのだと痛感した。 ごく自然に手が伸びた。 我に返り、急いでその手を彼の頭に移動する。 「君の舞台への気持ちは分かるよ……そうだ、だからこそゆっくりと体を休めてみよう。 ……その、君にはとても苦痛かもしれないが病院に行って、”内側“の検査をしよう。安定剤も飲んだ方がいい。少しでも不安を取り除こう。 勘違いしないで、あくまで一役者として仕事に集中するためだから。」 静かに頷いた彼をそのまま抱き締めそうだった……同情や、尊敬、他の何かが私を突き動かしてゆく恐怖に、頭がぼうっとする。 「……はい。」 ただの返事なのだが、声は聞きたくない。 なぜだが、妻に会いたくなる。 決して、彼を重ねている訳ではないが、彼から目を離すと消えてしまいそうで、私は誰かが居なくなることが怖いのだ。 前へ |次へ |
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