《MUMEI》

「情人を待ってんのかい」
 にやついた若い男が女の脇にやってくると、足先から頭の天辺までをじっくり眺め回し、やはり、左頬に視線を止める。それからふいに顔を背けた。
「いいや、仕事だよ」
「仕事?何の」
 女はちろりと男を見て、答えない。
「あんた何て名だ?」
「ヒガン」 
「いい名だな」
 女は酒を含みながら苦笑する。何を基準にして名前の評価がなされ、言葉が紡ぎ出されたのか。
「無駄話はもういいだろ」
 下卑た別の男の声が背後からした。男の巣窟に女一人は無用心に過ぎる。しかも酔漢達ばかり。あからさまに酔気の淀んだ臭気が流出し始めていた。
 好奇心と生理的な欲求を満たそうと、数人の男達が近寄ってくる。彼らの中でも、傍観者に徹しようと考える輩もいるようだ。成り行きを酒の肴にして楽しむつもりだろうか。
 ヒガンと名乗った女は微かに舌を一度鳴らした後はむしろ、楽しそうに男共を眺めていた。
 それは最初の男が女の着物に手を伸ばした刹那。
 ジャランッ
 鋼が重なり合うような音がした。
「うわっ」
 男の呻き声と共に血が流れる。何か刃物のような物が一閃したのは確かなのだが…‥
 女は、何事もなかったかのように残りの酒を呷って哂う。
「どうした?」
 奇妙に、背筋に何か薄ら寒いものが走ったように幾人かの男は感じた。

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