《MUMEI》

 酒場内には、あわよくばと狙う者と無関心の者が存在している。一連の出来事の間に、特に前者に限って変化が訪れていた。
 酔漢共は徐々に異形へと変貌を遂げつつあった。
 手の甲を負傷した男の傷口からは、赤ではない不気味な色合いの血が流れ始めている。
「おや、浮き世の体裁が保てないようだ。そろそろ酒が回り切ったか」
 出来損ないの醜悪な獣の姿となった客達が、各々迫って来ている。女はその恐ろしい状況を眺めながら、平然と酒を臓腑に納めた。
 意味不明の単語を彼らが零し、ようやく彼女は立ち上がる。
 ジャランッ
 再び、鋼が鳴った。亥と人とが奇妙に混じった首が落ち、中途半端に毛むくじゃらの太い腕が宙を舞う。
 騒動に気づいた酒場の主人がこの光景を驚愕の表情で見つめていた。
 異形と相対している女の左頬に燃えている蔓珠沙華の花弁。
「ヒガンと言ったな…‥
ヒガンとは彼岸のことなのか」
 蔓珠沙華のもう一つの名を彼岸花という。
「あんた、渡しか」
 彼岸とはあちら側、渡しとはそちらへと導く者。
 世間に横行する異形を討伐せんとする者がいた。近頃、浄化の炎を身に持つと言われ恐れられる人物の噂が流布していた。
 目前の女がそうなのか。
「主人、まだ酔気が欲しいかい」
 異形の血に塗れた女が微笑む。彼岸という女が、血肉の上に立っていた。
「わしを倒すというのか。その細腕でこのわしを?こざかしいにも程がある」
 不敵に主人が笑う。その姿形が変容していく様は、如何にも醜かった。臭気と酒気を振りまいて、鬼へと主人が変貌を遂げる。
 男が酒を呑み出来上がる酔気を、魂もろとも喰らう魔物が彼の正体であった。

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