《MUMEI》

「……確か、こうやってた」
言うや否や、影早の指が胸元を抉り始め
開かれたそこから、動く事をしなくなった心臓を引き千切る様に取っていた
その所為で飛び散ってしまった鮮血に頬を汚されながら、影早はソレに舌を這わせ
唾液まみれになってしまったそれはその全体を影に覆われてしまう
「……これで、大丈夫」
ソレをまた市原の胸元へと押し込むと
心臓はまるで何事も無かったかの様に動く事を始め
市原は失っていた意識をゆるり取り戻していた
「……っ!」
だがまともに呼吸する事が何故か出来ず
息苦しさにもがき、喉元を掻き毟ってしまう
「すぐ楽になる」
暴れる事すら始めてしまった市原
その身体を押さえつけながら、だが影早は相も変わらずの淡々とした声色
酷く遠くに感じ
そのまま意識が遠ざかっていくのが堪らなく怖かった
いっそ感情などこの瞬間になくなってくれれば楽になれるのに、と
自我を手離そうとしている自身が情けなく感じられる
だがこの苦痛から逃れる事が出来るなら、と
相手へと縋る様に手を伸ばしていた
「……させない」
触れる寸前、掴まれた手首
何事が起ったのか、霞ががって行く視界の隅に見えたのは一人の少女の姿
ゆるり歩きながら、相手と市原の間を隔てる様にその立ち位置を変える
「……日向の、一族」
「此処で、何をしているの?御影の狗。ここは、日向の領域」
「……違う。此処は、境。どちらのモノでもない」
「口ばかりは達者。けれど、この場所は日向が貰う。絶対に譲らない」
「……好きに、言ってればいい。この場所も、その男も、いずれ近いうちに御影のモノになる」
嘲るような笑みを浮かべ、相手はその場から姿を消していった
放り置かれた市原
小刻みに身体を痙攣させるその様子をその少女は無表情で見下し、そして
「……新たなる、(影法師)。今からあなたは、私達が使役する」
「か、げ、ほう……し?」
「そう。日向の庇護を受けていれば、、日光の下でもあなたは生きて行くことができる」
相手の言っている事が全く理解できなかった
だがこの状況から救ってくれるならもう誰でもいい、と
寄せられた唇をそのまま受け入れる
「……影法師にとって日光は、毒。だから、昼間はなるべく眠っていて」
普通に行動できるのは日暮れからだ、との説明を意識も虚ろに聞きながら
理解する余裕など欠片もない状況下で、それでも懸命に頷いて見せた
「……いい子。じゃ、日暮れになったら起こしてあげる」
額に掛る市原の前髪を優しく梳いてやれば
その柔らかさに、漸く市原が寝入り穏やかな寝息を立て始める
「……珍しいですね、ひなた。貴方が影法師となったヒトに情けをかけるなんて」
「……焔」
「これを、一体どうするつもりですか?」
その様子を遠巻きに見ていたのか、唐突に現れた一人の男
怪訝な表情を向けてみせれば
少女は薄く笑みを浮かべて見せながら
「アナタに、あげるわ。これを使って、御影を消して」
言いながら、市原の身体を少女とは思えぬ力で抱え上げ、焔の方へと放って見せた
ソレを受け取ると短く御意の意を返し、焔は市原を抱えたまま踵を返す
そしてゆるりとした足取りで向かったのは一軒の庵
若干た立てつけの悪い引き戸を開き中へと入れば
万年床らしい布団の上へと市原の身体を放り置いた
「……影法師など、全て消してしまえばいいものを」
ソレまでの物腰の穏やかさはどこへ行ったのか
途端に扱いがぞんざいになり、市原の身体を押さえつける
顎の骨が軋みそうな程に強く強く掴まれ、呻く声を上げ
そのまま強制的な目覚めを迎える
「僕は彼女の様に甘くはない。貴方は日向の狗になった。動くべきはきちんと動いて貰う」
腕を引かれ、身を無理やりに起こされてしまえば
焔の赤みを帯びた黒い眼球に囚われ、心臓がひどく脈打つ
「……いい音だ。ヒトが、生きる音。そして、ヒトが死に逝く音」
口元に歪んだ笑みを浮かべながら胸元へと耳を押し付けられる
その瞬間、心音がひどく乱れ市原は息苦しさに目を見開いた
自身のものである筈の鼓動でさえ自由にはならない
ソレがもどかしく、縋る様に焔へと手を伸ばせば
その手が引かれ、身体を抱かれた

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