《MUMEI》

 歓声だろうか。
 すでに寝静まったはずの森の奥から、禍々しい歓喜の声が聞こえてくる。
 負の力に支配された夜の森の入口に、茫洋とした雰囲気の男が、佇んでいた。
 古びた錫杖を手にしているが、着流しの着物の胸元をだらしなくゆるめた姿は、仏に仕える者には到底見えない。
「楽しそうだなぁ」
 場に似合わない言葉を呑気に呟くと、男は散歩でもするような足取りで、森に足を踏み入れた。程なく寒い季節に移る所為か、時折吹く風が冷たい。頭上からは、奇妙に大きく見える満月が、木々の間に青白い触手を伸ばして、森を照らしている。
 男は、進むうちに月光ではない、青白い炎が幾つも紛れ込んでいることに気がついた。
「鬼火。いや、陰火かな」
 強い風が吹いて、男の長く垂らした前髪を巻き上げる。彼は一瞬、目を閉じて大袈裟に騒ぎたてる木々や葉の声に耳を傾けた。陰火が現れる場所には、魑魅魍魎が出現するという。
 果たして男が目を開けると、雑多な姿の異形どもが視界に入った。叫声をあげて首から下は人だが、申の顔をした者が飛び跳ねる。亥の首を持った者は、意味不明の唸り声をもらした。
 獣の異形が囲むのは、焚き火のようだ。黄や赤の炎が揺れているのは、鬼火であろう。どうやら彼らの狂乱の宴を邪魔したらしい。
 見渡すと、一番上座の位置に、金糸銀糸で織ったような豪奢な着物を身につけた見目麗しい女がいた。
 男を見つけると、おっとりと微笑む。
「何者じゃ」
 ところが、手にした模様入りの立派な扇をあおぎ、女は冷たい声で誰何した。「こんなところで何をしているのかな」
 答えずに、男は口元を緩ませて反対に問う。女の美しさに鼻の下を伸ばしたのかもしれない。
 美人は扇で顔を隠して、上品に笑ったようだ。
「宴じゃ。見て判るじゃろう?御覧、今宵の供物を」
 背筋も凍る笑みを浮かべ女は、右手にした扇をぱちんと閉じて空を薙ぐ。
 扇の頭の先には古木があり、堅いであろう幹に女が縄で縛りつけられていた。
 気を失っているのか、頭をがっくりと下げているので顔はよく判らない。小柄な体からして、まだ少女のようだ。

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