《MUMEI》

「私は…‥」
 言い淀む鬼女の耳に、重く鳴る鋼の音が響く。苦渋の表情で頭を抱えた彼女の姿が、人の姿へと戻っていく。
「あんたは人の子だ」
 少女が、もがき苦しむ紅葉に言葉を繰り返す。
 頬の蔓珠沙華の紅味が増したようだ。この花の色は本来、白である。これを見る者は自ずから悪行から離れる、というのだが。
「どきなさい」
 依然、苦しみながらも、紅葉は蓮に強い言葉を向けるが、体は動かない。
 規則的に振り下ろされる錫杖が鳴らす音は、幾つもの鋼の輪が互いに重なって、重厚な旋律を奏でる。
 旋律が、異形の動きを封じているのだ。
「私は、天魔王の娘じゃ」
 紅葉が振り絞るように、だが昂然と言い放った瞬間、月が雲に隠れた。
 辺りが闇に包まれる。
 少女は懐に手を入れ身構えるが、動けなくなる。
 蓮もまた、説明のできない何かに腕を押さえつけられたかのように動かない。
 錫杖の音が掻き消えた。
 紅葉の体が、羽衣のようにふわりと浮かぶ。少女の縛られていた古木の枝に身を落ち着けると、笑みを浮かべた。
「天魔王か?」
 蓮が紅葉の気配を頭上に追い、自問する。
 やはり彼女は天魔王の娘なのか。自然の理を操作したかの状況は、件の天魔の仕業か。
「せっかくじゃ。お前の名も聞いておこうかの」
 加勢を得た優位者の心持ちらしい紅葉の声が、聞こえてくる。
「ヒガン。覚えておけ」
 口だけは動く少女が、躊躇せず言い捨てた。
「ヒガン、とは彼岸か?」
 異形の内で囁かれる噂があった。巷に横行する異形たちを成敗せんとする者、浄化の炎を身に持つ。その者、万民を彼岸へと渡すという。
 少女の左頬にある彫物こそ、浄化の炎ではないのか。蔓珠沙華の花は、彼岸花ともいわれるのだ。

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫