《MUMEI》
灰の雨の降る街
 雨は嫌いと窓辺に背を向けて立つ少女に向かってキリエは大きく息を吐いた。
「なぜ嫌いなのでしょうか」
 ――だって雨が降った後には人も街も突然老いたみたいにみんな真白くなるんですもの。
 そんな不満を目に見える形でぶつけられはしないかと、自動人形――オートマタは窓とは反対の部屋の隅へと音もなく避難した。
 逃走の最中、ルイは退屈を持て余しているんだわと、そう機械仕掛けの思考回路は告げていた。
「退屈は退屈でいいものでしょう――何も起こらない、誰も死なない、そんな日常、私にはとても羨ましい限りです」
 絨毯を滑るように自動人形がさらに数十センチ距離を取ったのは、この言に対する少女の反撃を警戒し、その範囲内からの脱出を意図したものだと思われた。
「それよりも明後日はあなたの学校の卒業式でしょう――準備はもうお済みですか」
 少女は振り返り、
「準備だなんて――卒業式だからって特別することはないわ――」
 そう言う少女の顔に一瞬翳りが差したのを見て取って、自動人形は悪戯っぽい微笑を飛ばした。
 微笑は攻撃圏内を飛び越え、少女の内奥に秘めた秘密の告白を迫り、彼女を屈服させた。「やり残したことは――一つだけ――それは時計台の大時計の針を――」
「駄目です!」
 告白とともに罵声が飛んだ。自ら荒らげた声量は制御システムの範囲を超えた大きさを持って、ルイへの叱責に力を貸した。この年代の少年少女が犯す禁忌なんて、たかが知れている――そう高を括っていたのが間違いだった。
「決してそのようなことは――学校内に限らず、この街では例外なく『禁忌』を破ることは厳禁とされています――もしそれが守られなかったら――ルイ様はよく御存じのはずですよ」
 ルイの住むこのセカイの人々はあらゆる『禁忌』によって、生活面での活動は大幅に制限されていた。重大でないものでは――それがもし重大とそうでないものに区別できるとすれば――嘘を吐くな、毎日決まった時刻に食を摂るように、他人に危害を加えるなといった――古の時代の産物である『聖書』に記された大罪に値するもの、しかし、それよりもこのセカイで重罰に値するのは、地図を見るな、教育者の命令には従え、そして――大時計台の時計の針を進めるなという特有のものであった。
 そういったタブーの一つ一つを数え上げるルイを保護者のような暖かい目で見つめる自動人形に、
「でも『時計台の大時計』の禁忌だけが意味がよく解らない――何故、『あの時計の針を進めてはいけない』のか――」
 そこから自分の推測を混えてさらに言い募ろうとした唇に、固い人差し指が押し当てられてルイはこれ以上は詮索の余地がないことを知った。
「それ以上は例え勝手な個人の憶測であろうとも、言うこと自体も禁じられているはずです――もしこれが他人に聞かれでもしたら」
 ルイは悪戯が過ぎた子供が叱責された時のように悄然と項垂れた。
「ごめん、キリエ。私――解っているのに――」
「そうでしょうとも。ルイ様はとても物覚えがいいとお父様から伺っています――今のは全部水に流しましょう。もしこれが他人に聞かれた場合は、私がルイ様の代わりに――それより早く御着替えになって――お父様がお出かけになる時間ですよ」
 弾かれたように視線を壁の掛け時計に向けると――AM八時。
「いけない――もうこんな時間」
 と慌てて寝巻を着替えだした。
 

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