《MUMEI》
灰の雨の降る街
スリッパの足音高く階下へ降りると、大麦パンのほんのりと焦げた匂いと食卓で朝食を済ませたばかりの父が迎えた。
「ほう、御寝坊さんかい――ルイ、ゆっくり朝の挨拶をしたいところだが、もう行かなければならない」
 ルイの父親――ゼギクは名残惜しげな瞳を向ける娘の頭をくしゃくしゃと撫でた。それか幾分かの慰めになったのかもしれないとキリエは思った。ルイの口元が少し緩んだのを見たからだった。
「今日はね、偉い人が空からお見えになるんだよ――今度の俺の発明が注目されれば、昇進も約束されるんだ――今よりもきっといい暮らしが出来るようになるんだよ」
 弛緩した口元が、また硬直を取り戻した。
 ――そんなのって虚しすぎるただの夢よ。今より幸せになっても、死んだお母さんはもう帰ってか来ないんだから――。
 虚ろな内奥の独白はしかし、紛れもないルイの心の叫びであった。
 感情の吐露は心の内だけに収めたはずなのに、涙が視界を滲ませた。
「さあ、ゼギク様――もうお出になる時間ですわ」
 キリエが気を利かせてくれたのか、軽くゼギクを入口の扉へと向かわせる。
 閉まった扉越しに「すまなかったな、キリエ――ルイを頼む」
 と聞こえてきた。
 居心地が悪くなって、慌てて自室へと引き返した。姿見を覗き、目を真っ赤に充血させたもう一人に向かって言った。
「人間に規則を守らせるための洗脳兵器なんて――そんなもののためにパパやママはいつも――私を――」
「いつも――あなたのことを第一に思ってらっしゃるわよ」
 いつの間にか、居住まいを正した優雅な仕草のキリエが姿見の中で微笑を浮かべていた。

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