《MUMEI》

だがそれをすぐに不毛だとでも思ったのか、美保は溜息をつくと身を翻す
「……じゃ、私も学校行くから。お兄ちゃんも遅刻しない様にね」
それだけを伝え、その場を後に
後に一人残された田部
静かになり、美保の慌ただしさに深く溜息をつく
「……結局何が言いたかったんだか」
当然、その真意など解る筈もなく
田部は溜息をつきながら残りの食事を全て平らげると身支度を始めた
見れば昨日脱いで捨てた筈のスーツはハンガーにかけられ
更には井上がやったのか、皺がすっかり無くなっていた
「……本当、変わった奴」
微かに肩を揺らしながらソレに腕を通すと
手櫛で簡単に髪を梳いただけで家を後に
普段通りな出勤、普段通りの道
飼わない筈の日常の中に僅かに混じった変化
経ったそれだけの事で明らかに変わり始める自身の生活
「……面倒臭ぇ」
つい愚痴る様に呟きながら、田部は道中にあったコンビニへ
眠気覚ましの缶コーヒーと栄養ドリンクを購入し、出社した
自身に与えられた仕事を卆なくこなしながら漸くの昼食
昼食を食べに、と外へと出向いた
「あれ?アンタ……」
偶然にも井上と出くわした何を一体そんなにも持っているのか
大量の荷を抱き、井上が足元も覚束ず駆け寄ってくる
途中、重い荷にやはり脚を縺れさせ、そのまま体勢を崩してしまった
「わっ……!」
転んでしまう、と思わず目を閉じる井上
だがその瞬間、身体がふわりと抱え上げられる
「お前、結構ドジだな」
「……っ!」
軽々と抱え上げられ、驚きに眼を見開く
暫く、そのままで
田部が漸く溜息をつき、その沈黙を破った
「……お前、軽過ぎ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「ちゃ、ちゃんと食ってるって!……ってか、降ろせってば!」
往来でのやり取りに、行き交う人が皆井上達を振り返る
恥ずかさも最高潮に達し、降ろす様脚をバタつかせ促してやれば
田部はまた溜息をつき、井上を降ろしていた
「……お前、メシは?」
「は?だから、メシならちゃんと食ってるって」
「そうじゃなくて。昼メシはもう食ったのかって聞いてんだけど?」
まだなら付き合ってほしい、と続けてやれば
丁度、井上の腹の虫が空腹に音を立てた
「腹の虫は正直。行くぞ」
有無を言わさず手を引かれ、連れて行かれたソコは
その場から歩いてすぐの喫茶店
サラリーマン御用達なのか、店内はスーツ姿の客ばかりで
田部は都合よく空いていたテーブル席へと腰を降ろす
お冷を運んできた店員へ、顔馴染みなのかいつものとだけ頼むと
鬱陶しいのか、ネクタイを僅かに緩める
「……アンタって、ネクタイ器用に結ぶよな」
「あ?」
行き成り何を言い出すのかと田部が井上の方を見やれば
どうしたの、井上は照れたように笑みを浮かべて見せた
「たまにスーツとかでネクタイ結ぶけど、いつもうまく出来なくてさ。不器用だからなのか?」
「そんな事俺が知るか。けど、こんなもん簡単だろ」
結ってみろ、と田部は自身のネクタイを解くと井上へと渡してくる
何となくからかわれている感が否めず
だが、此処で断るのも負けたような気がして、井上はソレ受け取ると首へと掛けた
「……」
「……本っ当、不器用なんだな」
首元ですっかり絡んでしまったネクタイ
散々な様になってしまっているソレを見、田部は僅かに笑みを浮かべる
笑う声は堪えているのか肩を小刻みに震わせながら
田部は不意に井上の背後へと回ると、まこと器用にソレを結わえた
「簡単なのに」
耳元で揶揄う様に呟くとまた席に着く
周りからの注目をやはり集めてしまい、井上は其処になって漸く顔を赤く俯く事をしていた
「な――っ!?」
「明日から毎日俺のネクタイ結わせてやろうか?それなら嫌でも出来る様になるだろ」
「はぁ?アンタ何言って――!?」
「じゃ、決まり。明日から頼むな」
珍しく笑う顔を見せる田部に
井上はそれ以上文句を言う事は出来ず、その約束に頷く事しか出来なかった……

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