《MUMEI》

「瀧尾のあだな、知ってる?」
 図書資料室の住人の嶋田が、珍しく表の貸出席に座って、芥川賞作家の作品に酷似した表題の文庫を読んでいた。
 閉室間際に、扉夏は地学の授業の話をしてみた。
 嶋田は視線を文庫に注いだまま質問してきたが、彼女が答えないので、ようやく顔を上げる。
「Dr.タキオン。或いはそのままでタキオちゃん」
「何ですか、それは」
「相対性理論ってあるだろ。タキオちゃんが授業中よく脱線すんだよね、そこから始まって。非科学的話」
「アインシュタインですか。でも、物理の基本ですよね。脱線って?」
「タキオンってのは、光速度を超える仮想の粒子なんだな。実際には存在が確認されてないけど、特殊相対性理論には矛盾してないらしいね」
 嶋田の言いたいことが今一よくわからない。光速を超える現象はありえないはずだ。
「だから、本当に見つかっちゃうと色々とまずい訳」
 端正な顔にフレームなし眼鏡の嶋田は、扉夏の主観だが、黙っていれば知的に見えないこともない。只、日頃の行いを見るにつけ、彼女の中で彼の仮面は、ガラガラと音を発てて崩れ落ちていくのである。
「そもそも保管が難しいんじゃない?成分調べんのに、シャーレじゃ雑菌つきまくりだろ。本当に隕石かどうかもわかんねぇんだし」
 意外に扉夏の話をちゃんと聞いていたらしい。
 嶋田が、彼女の抱いた根本の疑問、隕石と岩石の相違に戻ってきた。
「千葉に聞いてみれば?あいつもタキオンの信奉者だから。オタク魂半端ねぇって感じ」
「俺が何だって」
 二人の話を隠れて聞いていたのか、とでもいうような時間差で、心なしか憤然とした様子の本人がやって来てしまった。
 千葉は、高い背丈に大柄な体つきの男で、髪を短く立てている。柔道部か剣道部の主将かという硬派な雰囲気だが、文芸部の部長であった。彼とは両極端で軟派な雰囲気の嶋田と、なぜ大抵つるんでいるのか。
「昔を思い出しているときってのは、本当に思考だけが過去にタイムスリップしているっていう論理があるんだが」
『思考の力とタキオン粒子』というらしい。
 扉夏が嶋田にした話を繰り返し、先程のタキオンの部分に差し掛かると、我が意を得たりと嬉しそうな顔をして千葉が語り始めた。

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