《MUMEI》 アレックスの部屋は物が少ない。 ソファと黒いモダンなテーブルが部屋の中で妙に浮いていた。 「座りなよ。」 ソファに腰掛けてみるもモデルルームのような広さが落ち着かない。 潔癖なのかフローリングも傷が全く見当たらなかった。 周りにばかり気を取られていると目の前に珈琲が差し出された。 ソファが一つしかないせいか、勝手にアレックスは隣を堂々と占拠し始める。 「……有難うございます。」 「警戒しないでいいのに。」 彼は珈琲をコマーシャルのように飲む。 「彼には元々、人をおかしくするフェロモンがあるんだよ。首と耳の後ろに甘い匂いがするんだ。」 そういう奴はまさか、嗅いだのか。 「私がおかしいとでも?」 「君じゃないよ。」 意味深に笑うアレックスは読めない。 「エリックさ。」 アレックスの無二の親友が、彼にご執心とは、なんてスキャンダラスなんだろうか。 「おかしくするなんて……きっと妙な雰囲気に偶然、盛り上がっただけで一時的なものだよ。」 彼にはいつの間にか心を許してしまうだけだ。 「そうかな?魔性と言って可愛いくらいだよ。あれは全てを放棄させるじゃないか……寝ても覚めても彼はどこにいる彼に会いたい彼の傍にいたい……これは呪いでなかったらなんだ?」 全てを放棄させる呪い……エリックと彼はアレックスの紹介で対面してからというもの、ちょくちょく稽古場に顔を出すようになったらしい。 「それじゃあ、私には無理です。妻子を愛しているのだから。」 私にとって最優先すべき、当たり前のことだ。 「そうかな。奥さんの病の後も彼に執着していたよね、彼を離したくなかったんじゃない?」 「そんな訳無いだろう。理由があったんだよ……見知らぬ土地で一人で暮らすのは過酷だった。」 これが、正当な理由だ。 「庇護やマネージャーを逆手に取った。そこを付け入れられた。」 「止めろ!」 気分が悪い。何故こんなにも悪意を含めてくるのか。 「怒るなよ。好きなのに。」 不自然なタイミングで告白された。 「分からないな……私は呪いなんてもの信じない。一人の人間として、尊敬しているから。彼は踏み込んではいけない領域だ。」 正直な気持ちを打ち明けた。 「……俺によく似ている。」 アレックスがどこに共通点を見出だしたのだろう。 「君は、疲れているね。ずっと眠っていないだろう。ちゃんと食べているか?」 いつも通りに振る舞えば振る舞うほどアレックスからはボロが出た。 「朝は食べたよ。睡眠だってそこそこさ。俺には君の方が大丈夫じゃない。」 この過度なアプローチは仲間意識だとようやく察した。 「やはり君は疲れているよ、友人を気遣うばかりでその癖、自分のことを放ってしまうんだろう。」 役作りにしては行き過ぎた窶れた面立ちだ。 健康的な体を売りにしている彼に似つかわしくない。 「まるで、俺に気があるみたいだ。」 両目は獣のようにぎらつかせて、私へ渇いた笑みを浮かべる。 「私を好きな訳じゃないだろう。愛には愛で返したいんだよ。君はすり替えている。」 アレックスの告白にはフィルター越しで見られている違和感があった。 「鋭いね……でも恋は愛になるよ?きっと俺を好きになってくれるはずだ。」 誰かに重ねられるのは、虚しいだけだ。 「君には幸福になって欲しいよ。自分を傷付けないと約束してくれ、幸福になって私に見せびらかせてくれよ。」 満面に笑顔を咲かせている彼が彼に相応しい顔立ちだ。 前へ |次へ |
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