《MUMEI》

 「そろそろ、時間か」
昼夜が曖昧に混じり合う夕刻
市原を連れた焔の姿は、以前市原が影早に連れて行かれた(境)と呼ばれるその場所にあった
ゆらり伸びた影が揺らめく様を、焔は唯立ち尽くしたまま眺め見る
「……ヒトは皆、自らの影という境のもとに生かされている」
徐に呟き、焔は市原を脚元へと横たえる
その死体に、影の中から細い手の様な何かが大量に湧いて出てきた
市原の脚元をまず覆い、そのまま這い上がり腹部、そして喉元へ
薄く開いたままの市原の唇を強引にこじ開け影が中へ
「……!?」
喉を押し潰されるかの様な圧迫感に市原は意識を取り戻し
言葉にならない呻き声をあげ始める
一体、何が、どうなっているのか
その答えが欲しい、と縋る様に焔へと手を伸ばした
自分を苦しめている筈の相手
だが今の市原には、その手以外縋れるモノなど何もない
「……大人しくしていろ。お前の中に居る異物を取り除くだけだ」
声ばかりは宥める様に穏やかに囁きながら
焔は徐に市原へと侵入する影を握りしめると
ソレをそのまま手荒く引き抜いた
「――!?」
痛みなのか何なのか分からない感覚に苛まれ
見開いてしまっていた両の眼から大粒の涙が頬を伝う
このままでは殺されてしまうと感じるほどの激痛の後
ずるりとした感触の何かが其処から抜け落ちた
「……な、に?」
苦痛に朦朧としてしまった意識の中
自身から吐き出されたモノを見てみれば
ソレは、獣の様な姿をした黒い何か
地面へと落ちると同時に蠢く事を始め
その異様さに、市原はあからさまな恐怖を表情に浮かべた
あんなモノが自分から生まれた
そう考えると、とても耐えられない
「なん、なんだよ……これ。何が、一体どうなって――」
「あれは、影早だ。影法師」
よく見てみろ、と促され、強引にそちらを向かされる
蠢くソレが段々と獣の様な形を顕に
どろりどろりと市原へと迫り寄って行った
「俺の、影、守」
触れようと伸ばされた手
寸前、反射的に身構えてしまえば瞬間
まるで水がテーブルの上に零れてしまうかの様に
影早の全身が形を失い、水たまりへと変化した
「……俺、は、影に、なる」
「馬鹿が。既に己が身すら成す事も出来ない奴がないを言っている」
「……うる、さい。俺は、影に――!」
「影凪。今度は、逃がすな。殺せ」
言葉も途中、焔の背後に現れた黒い影
現れた影凪は一心不乱に地面をかみ砕き始めた
鳴り響いたのは、影早の悲鳴にも似た咆哮
ソレはすぐに消え、後に残ったのは
無残にも砕かれてしまった地面
その割れ目の奥に、市原は見覚えのある風景を見た
「この街……」
ソレは以前、市原が訪れた筈のあの街
触れられそうな程間近に見えるソレへと手を伸ばせば
突然、何かに手首を掴まれた
「――!?」
驚いたのも一瞬
掴まれた手を強く引かれたかと思えば
其処から、ひなたの姿が現れてくる
「……ひなた」
「……境は、消させない。影は陽の元に、陽は影の上に、在るべきなの」
「何故?境さえ無ければ僕たちは何に煩わされる事も無いのに」
諭す様な焔のソレへ
日向はゆるり首を横へと振って見せながら
「煩わされているのは、焔だけ」
感情の籠らない、だが焔を蔑むようにも聞こえる声でひなたは呟く
僅かに焔の表情が強張ったのが直後
ソレに気付きながらもひなたは淡々と言葉を続ける
「陽と影の間に生まれた、異端のモノ。だから、自身を取り戻す為に、境を消そうとしている」
「……気付いて、居たんですか?」
「ええ。最初から。だから、あなたの思う様にはさせない」
焔を正面から居据えたかと思えば、ひなたは市原の襟首を掴み上げる
少女とは思えない程の力で市原を引き摺りながら割れ目へとまた消えて行った
「……陽の光も影も、常に同じではない、か。確かにその通りだ」
以前のひなたの言葉を今更に復唱し、焔は歪んだ笑みを浮かべながらひなたが消えていった其処を見やる
暫く眺め見た後、焔もその中へと入って行ったのだった……

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