《MUMEI》

 「起きて。起きなさい」
頬を打たれる軽い刺激に市原はゆるり意識を取り戻した
余りはっきりとしない意識のまま辺りを見回してみれば
ソコは境
夕刻と夜とが混じり合う不可思議な色合いの中
ひなたと市原の姿しかソコにはなかった
「……お前さ、結局俺にどうしてほしいんだよ?」
漸くはっきりとしてきた意識
ひなたを正面から見据えそれを問う
「……焔は、陽の下で生き、陰の下で死ぬ。日々の中で、焔は生き死にを繰り返しているの」
「……?」
「それは昼と夜、陽と陰の境があるから。混じり合うこの時間を、焔はとても恐れている」
ひなたが言葉を紡げば紡ぐ程、訳が分からなくなっていくばかりで
困惑気な市原へ、ひなたは構う事もなく更に言う事を続ける
「……私は、気付けなかった。焔が、異端だという事に」
ずっと一緒に居たのに、と
憂う様な表情で少女は辺りを見回し
唐突に、市原の首を掴み上げる
「……貴方を、(境)にする」
「は?」
「境さえ、完璧に成せば、何の問題もなくなる」
「問題って、何だよ?」
この状況下にあってひどく冷静に問う事が出来た、と
市原自身感心する様なソレに
だがひなたが答えて返す事はない
飽く迄最重要事項を市原には告げる事をしないつもりなのか
あからさまに視線を逸らし、そしてゆるり話す事を始める
「……アナタは、何も知らなくていい。死んで。それで境は完璧になる」
市原の言葉がまるで聞こえていないかの様に
ひなたは何処からか長い刃物の様な何かを手にしていた
それで、一体何をしようというのか
市原は即座に理解する事が出来た
自分は、殺される
その事に気付き、それを望まない者がどうして大人しくしていられるだろう
市原は素早く身を翻した、そう自分自身ではそう思っていた
だが
脚がどうしても動かず、それがなぜなのか脚元へと視線を落としてみれば
「――!?」
其処には、無数に蠢く黒い手
その全てが市原へと伸び、捕らえようとしている
「な、んでなんだよ。何で、俺なんだよ!?」
「……何が?」
喚き散らす市原へ、だがひなたは至って冷静で
否、冷静を通り越し、氷の様な冷たさを感じた
「……あなたには、その子達が何を訴えているか聞こえないの?」
「聞こえねぇし、解んねぇよ!!俺には何の関係もねぇだろが!!」
「でも、あなたは感じたはず。この街が発している、違和感を」
確かに、最初この街を訪れた際、感じる嫌な何かはあった
だがそれに積極的に関わりたいなどと誰が思うだろう
少なくとも、市原はそうは思わない
「耳を、澄まして。そして聞いて、さぁ!」
狂った様な笑い声を上げながら、ひなたは市原の後ろ髪をやおら掴み上げ
そのまま地べたへと引き倒した
「――!?」
倒れて、その間近に見る黒い手の群れ
無数にあるその全てが市原へと伸び、身体の至る所を覆い始める
手、脚、首、そして口内にまでもくり込んできたソレが市原から呼吸を奪う
誰か、助けてほしい
求めるかの様に伸ばした手
何も掴む事も出来ない筈のソレを掴む何かの感触
「……ひなた。何故、邪魔をするんですか?俺は、あなたの為に――」
其処に居たのは、焔
飽く迄もひなたのためを思っての事なのだとの焔へ
ひなたは首をゆるり横へ
「……私は、(私)を煩わしいと思った事はない。貴方とは、違うから」
「そう、ですね。貴方は陽が陰れば眠ればいい。けれど、俺は」
「死ぬのが、そんなに怖い?」
その感覚が解らない、と小首を傾げるひなた
焔をまるで責めるかの様に更に言葉を続ける
「……私のためなんて、全部嘘。アンタは唯、そう思い込んでいるだけ」
「俺が、間違えているとでも?」
「そう言ってるの。解らなかった?」
「生憎と。貴方にあるべきは陽の光でもなければ影でもない。曖昧な、灰の色だ」
狂った様な笑みを浮かべ、焔は市原へと向いて直る
「……影凪、喰っていいぞ」
自身へと向けられる、明らかな殺意
黒い獣が徐々に徐々に迫り寄り、市原は距離を保とうと後ずさる
「境など、必要ない。俺に、そして貴方に必要なのは曖昧な、灰の色だ」
ひなたへと穏やか過ぎる笑みを浮かべて見せる焔
この男の真意はどこにあるのか

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