《MUMEI》

 「広也君、今帰り?」
壱日の業務も終わり、帰宅の途に着こうとしていた時だった
会社を出た矢先に、背後から声をかけられた
その覚えのあり過ぎる声に、木橋は怪訝な顔も顕わに一応は向いて直る
「……すっごい顔。そんな顔しなくてもいいでしょ。別にとって食おうって訳じゃなし」
「……当たり前だろ」
またあんな事をされては堪らない、と
木橋はあからさまに後ずさって見せれば
「お近づきの印。一緒にご飯でもどう?」
奢るから、と見え透いた誘い文句
そんな安い言葉に釣られてやるほど木橋とて馬鹿ではない
「絶対行かねぇ」
はっきりと否を返してしまえば
高野は苦笑を浮かべながら、それでも木橋の手を取っていた
「ちょっ……。離せ、この馬鹿!」
「馬鹿は酷いねぇ。これでも学生時代は結構勉強出来たんだけど」
「そう言う事じゃねぇんだよ!あんた、本当に馬鹿だな!」
吐ける限りの悪態をついてやれば
だが高野は全くそれを意に介さず、そのまま歩いて行く
「……ヒトの話、聞け!離せってば!」
「どうせこの後予定ないんでしょだったら、付き合って」
奢るから、と片眼を閉じて見せながら
高野は木橋の腕を掴んだまま、歩き始める
暫く歩き
「着いたよ。広也君」
そう言いながら高野が指差したのはごく普通のマンションだった
「何だよ。ここ」
てっきり何処かの店へ行くとばかり思っていた木橋
何故こんな処へ、と高野へと訝しげな顔をして向けた
「ウチの方がゆっくりできると思ってさ。さ、どうぞ」
木橋を招き入れる様子から
ここが高野自宅である事はしれた
だが昨日の今日でこの男の家になど上がり込んでも良いものかと
木橋の頭の中では警鐘が鳴り響く
「もしかして、警戒してる?」
「……してないと思うか?」
以前、あんなことをしておきながら、と指摘してやれば
高野は流石に困った表情を浮かべて見せる
「……あの時は俺も少し酒が入ってたしね。大丈夫、何もしないから」
「それを信じろって?」
どの口が言うのか
高野を睨みつけてやればそれまでの苦笑を笑みに変え
木橋の腰へと徐に手を回し、その身体を引き寄せていた
「なっ……!?」
顔がいきが触れそうな程近くに寄せられ
木橋が俄かに慌てる事を始め、高野の腕から逃れようともがく
「甘え方が、解らない?」
「は?」
行き成りなソレについ怪訝な声を返してしまえば
だが高野は、木橋へとこれ以上ない程に柔らかな笑みを浮かべて向けてくる
何故、この男は自分なんかにこの様な顔が出来るのか
考えれば考えるほど解らない
「……お前も、俺の肩書が目当てなのかよ」
「肩書き?」
「社長令息、跡取り。みんなソレばっかり群がってくる馬鹿ばっかりだ」
皆、木橋の上辺ばかりで木橋自身を知ろうとはしなかった
ソレを繰り返すうち、何もかもが煩わしいとしか思えなくなった
どうせ、この男もその類なのだろうと
嘲笑を浮かべて見せれば
「俺もそうだって、思ってる?」
笑みを絶やす事はしないまま、だが僅かにその恐色は強張っている
木橋が否定も肯定もせず、唯黙っていると
更に深く抱きしめられる
「は、離せよ」
「駄目」
「な、なんで!?」
「俺は他の奴等とは違うから。それを信じてくれるまで離してあげない」
まるで、子供の様に拗ねた口調に
抵抗を試みていた木橋がピタリそれを止める
「……アンタって、変な奴って、よく言われるだろ」
「突然、何?」
行き成りの木橋の言葉に意外そうな顔の高野
マヌケ面で返され、木橋はつい笑う声を洩らす
「何だよ、その間抜け面」
「間抜け面?俺、そんな顔してる?」
「してる。写真、撮ってやろうか」
完璧に笑い始めた木橋が携帯を取り出し、カメラを高野へ
向けてやれば、木橋の手首を高野が徐に掴み上げた
「なっ――!」
「あんまり、年寄りを揶揄うモンじゃないよ。特に――」
此処で高野は態々言葉を区切り
掴んでいた木橋の手首を引き寄せるとその身体を抱きしめていた
「君に惚れてるオヤジには、気をつけてないと。襲われるよ」
「……もう襲ってんだろ」
「これは違うって。唯の抱擁」
「……野郎同士で唯も何もねぇだろ」
指摘してやれば、だが高野は笑みを浮かべるばかりで

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