《MUMEI》

街の北側が何も見えなくなる程に黒い何かに覆われていた
天気が悪いわけでは決してない
それなのに何故、と訝しむ乾
ソコヘと近づけば近づくほど
黒いそれはその色を増していった
「……居なくなった途端にこれか」
「は?」
五月雨の呟き
言うや否や五月雨はその黒いモノの中へと突っ込んでいく
止める術等持ち合わせてはいない乾
唯その背に、振り落とされない様しがみ付いているしか出来なかった
――猫が、向いている。あちらが、北か――
何処からか聞こえてくる声に
五月雨はすぐさま、降下する事を始める
堕ちて行く感覚に、声を上げる暇もなく
そして降り立ったのは、交差点
降りるとすぐに、辺りを黒い何かの群れに囲まれてしまう
「……何だ、これ……」
自身の周りに漂い始めた重苦しい空気
息苦しさと、恐怖
全身から一気に血の気が引いて行く様な感覚に陥った
眼の奥には染められそうな程深い黒
その彩りに全てを覆われてしまう、寸前
乾はその中に、赤い何かの筋を見た
何かと解らないままに手を伸ばし
だがそれがたとえ何であったとしても、今は何かに縋ってしまいたい、と
ソレを掴む
「……標糸か」
五月雨の呟きに、我へと帰れば
乾は自身の両の手の指に赤く細い糸が絡んでいる事に気付く
解こうと試みるが無理で
一体これは何なのかと五月雨の方を見やる
「心配するな。それは標。お前に害成すものではない」
ならば一体何だというのか
ソレを五月雨手問うより先に
指に絡む紅いソレへ、影達が群がり始めた
帰り道が、解らない。帰り、たい
切れ切れに聞こえてくる、雑音の様な声
余りの声の多さに、だが乾はさして動揺している風でもない
「……これが、必要なのか?」
それどころか、自身の指に絡む糸をその影へと差し出して見せていた
返事は、ない
だが微かに蠢いて見せるソレが応を返している様で
乾は影へと糸の先を渡してやる
「ば……っ、小僧!お前、何して……!」
「これがあれば、何とかなるんだろ?」
ならば何とかしてやらなければいけない
乾には、その影達がひどく苦しんでいる様に見え
どうしても、居た堪れない気持ちにさせられる
「……これ、やるから。ちゃんと、帰れよ」
僅かに笑みを浮かべて見せてやれば
影達はまるで躊躇するかの様に動きをピタリと止め
だがすぐに、糸へと群れをなした
コレデ、帰レル。糸ガ、導イテクレル
耳に入ってくるのは、声の様な雑音
その声は耳に重く、そして痛みを伴う
呼吸すら出来なくなりそうな感覚に苛まれ
乾は縋る様に五月雨へと触れていた
「どう、すればいいんだよ。どうすれば――!」
「迷うな。標が迷えば、道も絶える」
「そんな事言われたって、解んねえんだよ!どうすれば――!」
「願うてやれ」
「……願、う?」
「標糸の願いは、(導き)だ。唯願い、想うてやるだけでいい」
「願うって、何をだよ?」
重要部分が分からずまた問うてやれば
五月雨は群れる影達の方へ向け、顎をしゃくって見せた
「お前には、アレがどう見える?」
「どう見えるって……」
見えるのは、唯重苦しいばかりの、黒
だがそれまでは黒い影でしか中ったその中に
乾は助けを求めるかの様な大量の手を見た
「……迷うなよ。助けてやるから」
在るべき場所に迷うことなく帰れるように
それだけを切に願い、影達へと糸を結わえつけてやれば
瞬間、影達がかすれ、そして消えて行った
「ようやったな」
その様を唯呆然と眺め見るばかりだった乾
五月雨の声に漸く事が収まったのだと理解する事が出来
その場へと座り込んでしまう
「流石はヒト。脆いのう」
「……」
音このクセにわざとらしく溜息を吐くその様に
乾は僅かばかり苛立ちを覚え
勢いよく立ちあがると身を翻した
「おい。何所へ行く?」
元の猫の姿へと小さく戻り後をヒタヒタとついてくる五月雨の気配に
乾は振り返る事もしないままに帰るのだと一言
「待て!儂を置いて行くな!」
一人先を歩いて行く乾
ソレを懸命に追い掛けながら五月雨は叫ぶ声を上げる
別に、待ってやる義理などない
そう思いながらも、余りの喧しさに脚を止めれば
五月雨はその丸っこい見た目とは相反し
軽やかな跳躍を見せ、乾の肩へと乗ってきた

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