《MUMEI》

「いらっしゃいませ」
 ポロシャツの半袖が二の腕に食い込んでいる。しきりに額と首筋の汗を、いい加減くたびれてしまっているタオルらしき物で拭いながら男性客が入ってきた。
 加納咲良は、鼻に寄せてしまったシワを咄嗟に隠すつもりもなく、だぶだぶのチノパンの尻を見送った。
「あっちぃんだよな」
 多数の書籍が積まれたレジカウンターの中、そのまた奥の大量の築山に埋もれていた水杜晶が、同じように男を見送って、呟いた。
 先程の客だけが暑苦しいのではない。
 季節は七月の下旬、梅雨が明けたばかりである。
 赤錆色の煉瓦造り。三階建てビルの一番上、三階に古本屋キチキチ堂は店舗を構える。一階に喫茶店、二階には謎の事務所、中造りの階段を上り切って回れ左をすると、達筆なのかそうでないのか判別し難い筆文字の書かれた暖簾が提げられている。
 出入り口の扉は自動なのだが、本日は電源を切り、手動にして開けっ放し。
 扉の向かいに位置するフランス窓は全開にされており、冷房装置は稼働していない。
 したくても、できないのである。節電ではない。
「店長、クーラー早く直してくんねぇかな」
 本も傷むんだよなと、ついでのように晶が続ける。
 七月の初めに突然、送風口から生暖かい風を吐き出し続けた店内の冷房装置は、勝手に稼働を停止してしまった。その後、一向に動き出す気配はない。
「ちょっと俺、上で風に当たってくるから」
 ビルの外壁にある非常階段で屋上に出られる。彼はよくそこでさぼっていた。
 熱い空気と馬鹿は高いところに上りたがる。
 咲良は一人でも人口が減れば、密度からいっても涼しくなるのではないかと思った。
 実際にどうなったかというと、はっきり言って体感温度は上昇してしまった。

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