《MUMEI》

 籐二郎とは、キチキチ堂店主の名前である。彼の名前は吉籐二郎という。
 店名は、わかりづらいが駄洒落のつもりらしい。
「店長なら、下の喫茶だと思います」
 店主はアルバイトに店を任せっきりで、一階の喫茶店に大抵入り浸っているのであった。下は節電対策関係なしで冷房完備なのだ。
「ありがとうございます。ではお邪魔致しました」
 軽く会釈して歩き出す。 着物美人の所作は店内の暑さを忘れさせる程に美しく、涼やかな雰囲気だった。彼女が出て行ってしまうと、室内の体感温度が、また元の暑さに戻ったような気がする。
「ああいうの見習いなよ」
「うん」
 通り抜けた爽やかな風にすっかり毒気を抜かれてしまった二人は、ようやくレジ台の下に落とした書籍を拾い上げ始める。
 しばらく。
「あの人、店長の何だと思う」
 だぶだぶ男が帰った後、いやその前から店内に客の姿はない。つまり暇なのである。
「親戚関係?」
「いや、俺、あんな人見たことない」
 晶は店主の甥である。母親の旧姓は吉という。
「もしかして愛人?とか」
 吉は既婚者である。親戚でないのなら愛人、というのは短絡ではあるが、あれだけの美人である。一般的な関係なぞ排除したほうが、色々と興味深いではないか。
「と、するとあの風呂敷包みは何かな」
「逢引きで忘れていった上着」
「いやいや、仕立ての浴衣ってのは、どう」
 二人とも、かなり都合良く妄想して、面白がってしまっている、と。
 相変わらず暑いのだが、日差しが何となく陰ったようである。室内が心なしか一瞬、暗くなったのだ。

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