《MUMEI》 終「手、拭きなよ」 箱ティッシュを渡そうとして、取り落としてしまう。拾おうと屈んで、気がついた。 レジ台の下にばら撒いた書籍が中身を下にしたまま一冊、まだ残っていたのである。慌てて拾い上げ、何気なく開いたページに目を落とすと、古い漫画雑誌であった。 「偶然かな」 涼風が咲良の顔を撫でた気がする。 内容は時代物のようで、着物の女性が日傘を差しているコマがあった。彼女の胸元には風呂敷包みが抱えられている。もしかしたら、気障なスーツにパナマ帽の男性が出てくるページがあるのかもしれない。 「偶然だね」 晶に見せると、しばらく雑誌をめくってから断言した。 未処理書籍の山の一つに、無造作に戻す。 夏の暑い日には、奇妙なことが起こるものだ。 何か悟ったように咲良が思っていると、出入り口に人の気配がした。 「いらっしゃいませ」 嬉しそうに、藍の作務衣のようなものを来た店主が、団扇片手に立っていた。 「似合うだろ?」 「店長…‥」 せっかく、見なかった振りをしようとしたのに。 咲良の肩が微妙に震える。寒い訳ではない。彼女の中の何らかのメーターの針が振れたのである。 晶はあらぬ方向を向いて、もう一度、断言する。 「偶然だから」 七月下旬の暑すぎる店内で、彼の声は空しくも、美味しい最中アイスの如く消え失せた。 これが、彼女が経験した古本屋キテキチ堂での奇妙な出来事の始めであった。 終幕 前へ |
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