《MUMEI》 午前3時の司令塔外は紫紺の重ねを纏い、靄がかかっている。 樹は指定された場所まで風を切って走った。 家屋に不法侵入し、やっとで入る隙間に体を捩込ませ、あらゆる場所をよじ登った。塀の向こうにアラタがいる。コンクリートで固められたマンションだ。 指定された窓から侵入した。人が住んでいる気配はない、樹はてっきり売りに出された土地だと思っていた。階段を上り、指定された部屋の扉に設置された配達受けに手を入れる。 樹は有名な映画を思い出した。人の顔をした壁の口に手を入れる。 映画の中に使われる話で愚者には壁の口からそれなりの報復があるという言い伝えだ。 アラタにならば噛み切られたって構わないという訳の分からない宿命が彼を支配している。 触れたのはひんやりとした板だった。 「分かる?カッターの形」 アラタは平淡な声で刃先を樹の手に充てた。カッターがアラタの手の中で奇しく光る。 樹はアラタの手首の細さに驚く。自分が掌半分で止まった所を彼は手首まで通したからだ。いつもの手袋からはみ出す手首は彼を生物と判断するには希薄な情報である。 暗闇に染みるアラタの白い手首は別次元のものだった。樹とは決して交わらない、しかし右手を捕まえているであろう無機質の塊。 前へ |次へ |
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