《MUMEI》

 山鬼は一本足の魑魅である。鍛冶の里の権力者は、自分の娘を見逃してもらう代わりに別の生贄を捧げることで、邪神と良からぬ契約を交わしたのではなかろうか。
 男は思案する。
 火男が手助けをしてやれと言ったということは、娘は魑魅を倒す策を用意しているはずである。彼が妖怪退治を交換条件にしなかったのは、何かを推し量っているからなのか。
 彼女が成功するか否かを、見極めなければなるまい。
 錫杖の男は、祝宴の儀を全て済ませた仮初夫婦の寝所の入口に陣取っていた。
 戸襖の隙間から様子を窺う姿は覗きに違いなく、他人に見せられるものではないと、思わず己を笑う。
 暗闇に灯りが一つ。白粉を落とした嫁御の顔が浮かび上がり、男は息を呑む。
 彼女の左頬には見事な彫物があった。紅い曼珠紗華が燃えている。
 覆いかぶさった山鬼の動きが停止していた。彫物を見て、尻込みしているのだろうか。
 押し倒された格好の娘が山鬼を押し退けて、ゆっくりと立ち上がる。同時に着物がはらりと落ち、背中が露になった。だが、すぐに、はおり直して見えなくなってしまう。
 一瞬、見えたのは、細い背中の一面に、曼珠紗華の花弁を咲き乱れさせている様であった。
「浄化の炎…‥か?」
 錫杖の男が知らず、言葉を漏らす。
 本来、曼珠紗華の花弁は白い。これを見るものは、自ずと悪行から離れる。
 山鬼は明らかに、娘の顔を見て後退っている。顔を背けようとするのだが、叶わず怯えているようにも見える。だが、逃げ出さないということは、抜け目なく好機を窺っているということだ。やはり、法力は効かないのか。
 明らかに謀略の臭いがする。刃こぼれした素槍の、鍛え直された尋常でない穂先の刃。
「伏せて」
 錫杖の男の低い押し殺した声に、娘の姿が彼の視界から消えた。
 男は錫杖の仕込み槍を戸襖の隙間から正確に突き入れる。真正面には、今まさに贄へと襲いかかろうとしていた山鬼の猿面があった。

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